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1976年の荒涼と森田童子
1976年の荒涼と森田童子 1976年、ぼくには食事を共にしてくれるガールフレンドもなく、考えて ... 1976年の荒涼と森田童子 1976年、ぼくには食事を共にしてくれるガールフレンドもなく、考えて いることの出口は見つからず、軽い神経衰弱にしてやられながら、ラスコーリ ニコフのようにうろちょろしていた。春先の風邪を放置したせいで肺炎になり、 この年の後の半分はベッドの上で過ごさざるを得なかった。森田童子の歌をベ ッドの上で聞いたりしては、ますます荒涼とした場所に落ちていく自分自身を どうすることもできなかった。 2・3日前、どこでなのか判らないが、確かに森田童子の歌を聴いた。 TVでも、この1週間のうちに聴いたような気がする。信じられないけど。 「高校教師」のテーマソングを何処かで耳にしていた私が、1976年に貴方は何をしていたか、というネット上の質問に回答している。 「高校教師」をロクに知らなかったのは、せっせと 夜学に通っていた からだ。 詩と決別したランボーは砂漠の商人になり、歌と

