プリズム句会は、 互選で選評必須の クローズド・インターネット句会 です。 でも、 11月6日・選句/選評締切り の分は、特別公開版なので そのうち主宰のブログにも ババーンと載るでしょう。 こちらには、 とりあえず私の句と、 いただいた選評を。 またしてもデイジーの種生みかける 透童つくえ 並選 デイジーを白のひなぎくとして読みました。 清楚可憐、おだやかを生みだす種を またしても無難に生もうとする自身への ちいさな危機感、違和感を感じ、 好きでした。 ──茉莉亜まり 「またしても」だから 以前にも生みかけたのですね。 それでもまた繰り返すのは 人の性の哀しみのようです。 ──福村 まこと 生み「かける」のが「またしても」。 ひたすら寸止めの精神性。もどかしい。 ──御殿山みなみ 《生みかける》ということは、 生んでしまうことを、 作中主体は回避できたのだろう。 《またしても》ということ
「いつもそうやっているのだから、それが正しい」という形式である[2]。結論は常に間違っているわけではないが、つねに正しいわけでもなく、もし伝統に訴える論証が推論形式として有効であると仮定すれば、あらゆることは変更できないことになる。非形式的誤謬の一つ。 伝統に訴える論証では、以下の2つを基本的な前提とする。 古い思考方法は、導入時には正しいことが証明されていた。(実際にはこれは偽かもしれない。伝統は全く不正な基盤の上に成り立っているかもしれない。) その伝統についての過去の根拠は今も妥当である。(状況が変わっていれば、この前提も偽となるかもしれない。) 伝統に訴える論証の反対は、「新しい」ことを根拠として論証する新しさに訴える論証である。これも、新しさに訴える論証が推論形式として有効であると仮定すれば、あらゆることは常に変更し続けなければならないことになる。 「我々はこれまでずっと馬に乗っ
連句とは、最初の句に対して、その情景から次の句を想像する文芸です。 それは幼い頃の尻取り遊びのように、出来るだけ素早く応じて、前の句とは関連があるが、しかも全く違う内容の句がよいのです。そして、何人かで、長句と短句を交互に繰り返します。この問答風の文芸は、六百年も前から伝わってくるうちに、いくつかの約束事(式目)ができました。形式も三十種類ほどあります。連句の楽しみの大部分をなすのは、連想飛躍によって思いもかけない別世界が繰り広げられることです。 芭蕉も「俳諧は三十六歩の歩みなり、一歩もしりぞくこと無し」と述べていますが、歌仙三十六句を足 取りにたとえ、後へ戻ることなく前と同じ情景を避けて、新しい局面を展くように前進しなさいと教えています。 ここで、国文学者・俳人で信州大学名誉教授であられた東明雅氏が著された 俳文学辞典に掲載の「連句」に関する説明文をご紹介いたします。 [名称] 連句の名
連句のルール早わかり 連句講義室に戻る 式目連句と自由連句 式目連句 季節や同類の語(たとえば月と日は天象というカテゴリー)を何句続けてよいか(句数〈くかず〉と呼ぶ)、一度季節や同類の語が途切れたら次は何句空いたら出していいか(句去〈くさり〉と呼ぶ)といった規則に従って巻く連句。一般に連句と言えばこれを指す。 自由連句 長句と短句を交互に出す、という以外に特別な規則はない。よって以下のルールは基本的に式目連句で使われるもの。 1巻の句数 百韻 長句・短句を各1句と数えて百句で満尾。中世から近世初期まで主流。 歌仙 同じく36句で満尾。芭蕉が愛用してから現在まで主流。 暦 同じく12句で満尾。杉浦清志が連句を授業で教えるために考案。 句の名称と続け方 発句 575 正客の座。季語と切れ字を詠み込む。 脇句 77 亭主の座。発句と同季同所同時刻を原則とする。 第三 575 発句・脇句の世界か
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