AI時代に本当に価値ある開発をするために - 人間中心設計で顧客が嬉しいものづくりを加速する

こんにちは。コンテンツ本部 エンジニアリングマネージャー(EM)の id:yigarashi です。本部エンジニア組織の事業成果とメンバーの育成・キャリアに責任を負って日々はたらいています。特に、組織の文化や能力を牽引する立場でもあり、生成AIによって社会全体に著しい変化が起こる中で、事業やエンジニア組織が適応し変化し続けられるようにすることが非常に重要なミッションです。

その変化のひとつとして、ソリューションを構築するコストが下がり、これまで以上に「何を作るか」に競争の軸足が移動していくことが挙げられます。PdMのような特定の人に依存しすぎず、チーム全員が顧客の価値に基づいた自律的な動きができることが重要になると考えています。本エントリでは、そうした競争環境の変化を捉え、AI時代に本当に価値あるものをつくっていくために、AIを活用したインタビュー分析SaaS「toitta」のチームで実施した施策を紹介します。

※「toitta」は2024年10月に正式リリースされた、AIを活用してユーザーインタビュー後の分析や情報共有を支援するはてな発の新規事業です。動画をアップロードするだけで、話者分離済みの高精度な書き起こし、切片(分析のために事実を要約して抽出した短文)、グルーピング、クロスレポート等を生成します。リリースから1年が経過し、多くの事業会社、支援会社のみなさまにご導入いただいています。

ja.toitta.com

「本当に価値あるもの」をつくる難しさ

「何を作るか」をより大事にして、「本当に価値あるもの」を作る。言葉で言うのは簡単ですが、具体的な行動として実践するにはだいぶギャップがあります。そもそも考えるべき「本当に価値あるもの」とはなんでしょうか。様々な尺度が考えられますが、特に企業向けのサービスにおいては、「業務の課題を解決すること」「業務フローによく適合すること」の2点が大前提であるということに異論を唱える人は少ないでしょう。その上で顧客体験の観点からは「使っていると嬉しくなること」も追い求めたいものです。こうした目的を効率よく達成するために、顧客を理解しアジャイルに作るという営みが、これまでもずっと行われてきました。

しかし困ったことに、AI時代においてこの営みはさらに難しくなったと感じます。その要因としては大きくふたつありそうです。

ひとつは生成AIの柔軟すぎる能力です。toittaのような自然言語を扱う業務を支援するサービスは、まさにそうした能力によって可能性が拓かれたわけですが、抽出、要約、生成する情報も柔軟となると、最適な仕様の探索空間が広すぎるのです。たとえばtoittaでは自然言語でインタビューから根拠付きの発見を抽出する、ask toittaという機能を提供していますが、単にベクトル形式のデータベースで発話を検索するのか、それらを要約したレポートにするのか、さらに進んでエージェンティックな調査計画を実行するのか、だとしたらどういう切り口で計画を掘り下げるのか……などなど、可能性が多すぎることで、何が一番顧客の価値になるのかという意思決定が難しくなっています。

ask toittaの機能イメージ

もうひとつは自然言語の出力に対する嗜好の多様さです。最近では、OpenAI社のChatGPTで、性能が劣る旧モデルのほうがユーザーに好まれたことで大きな話題を呼んだのが記憶に新しいかと思います。toittaでも切片化という書き起こしから事実を要約して抽出するタスクが存在するのですが、書き起こしにある内容が抽出されていないという基本的なエラーから、自分たちが普段手で作るものより情報量が少ない、手触り感が失われているといったニュアンスに及ぶものまで、様々なフィードバックをいただきます。そうした内容を適切に解釈し、評価に反映し品質を高めていくのは非常に難しいです。

切片生成のイメージ

顧客をもっと理解するための活動

そのような難しさを乗り越えていくのに、楽な道はないように思います。これまで以上に顧客を深く、細やかに理解し、意思決定の指針をひとつずつ手に入れていくしかありません。またこれは誰か個人が実践すれば良いものでもありません。課題の解き方の柔軟さ、出力要件の曖昧さが高まっているなかでは、動くもので議論することがより重要になります。もちろん生成AIによってそうした活動の垣根は下がっていますが、まだまだエンジニアやデザイナーが強みを発揮する領域です。ひとりひとりが顧客理解を深め、主体的に筋よく開発のイテレーションを回せることが競争優位を生み出すはずです。チーム全員がよりうまく顧客理解に基づいたものづくりができるように学んでいくのが望ましいでしょう。

toittaチームに関しては、自分たちがインタビュー分析を支援するサービスを提供していることもあり、もともと顧客の声を大切に開発していました。商談で得られたVoCを整理して課題別に管理したり、プロダクトバックログアイテムを起票する時も根拠となる発話を提示したり、仮説を立ててコンセプトテストを実施したり、顧客の声に基づいたものづくりが日常になっていました。しかしこれらの活動はプロダクトマネージャーを中心とした一部のメンバーに偏りがちで、チームの能力と言えるまでには成熟していませんでした。

そんなことを言っていると、まさにそのプロダクトマネージャーが育児休業を取ることになり、チームで顧客理解に取り組む必要性が生まれました。ふりかえりで議論をした結果、まずは毎日の昼会に「顧客のくらしコーナー」が設定されました。ビジネスメンバーが最近印象に残った顧客の様子やサービスの使い方を書いて共有し会話するというものです。また顧客要望をBacklogに蓄積してもらい、週に1回、プロダクトの企画を議論する会議体で確認することになりました。。こうした変化を通じて、チーム全体が顧客の声に触れる機会が増えるとともに、実際にエンジニアやデザイナーが起票して進む開発も出てきました。

「顧客のくらしコーナー」の様子

体系的な学びを求めて

以上のように、自分たちなりに顧客理解のための活動を始められたのですが、本当にこれであっているのかという不安が拭えませんでした。「顧客のくらしコーナー」を始める際の議論でも、わたし自身もっとよいやり方があるのではと考えてブレーキを踏みそうになってしまったり、自信を持って進められていない感覚がありました。そもそも顧客を理解し意思決定をするという仕事は、それ単体で職種として成立するほどの専門性を含んだものです。そこをどう体系的に学んでいくかが考えどころでした。

そんな折、ビジネスチームのディレクターである id:Flateris5 がHCD基礎検定の受検を提案してくれました。HCDとは人間中心設計(Human Centered Design)のことで、規格であるISO 9241-210では「システムの使い方に焦点を当て、人間工学やユーザービリティの知識と技術を適用することにより、インタラクティブシステムをより使いやすくすることを目的とするシステムの設計と開発へのアプローチ」と定義されています(人間中心設計の国際規格ISO9241-210:2010のポイントより)。ユーザビリティやUXの研究分野に蓄積した、使いやすい製品やサービスを生み出すための方法論と哲学を整理したものと位置付けることができ、我々が求める顧客理解を起点としたプロダクト開発の体系的な入口として有望な概念に思われました。また実際にtoittaを使っていただいている方の中にも、HCDの先駆者、実践者が多くいらっしゃいます。その方たちが大事にしている知識や思想を学ぶことは、二重の意味で顧客理解につながると考えられました。

早速チームで受検することに決め、時間を取って各々学習を進めました。受検者向けの学習テキストと動画があるので、それらをインプットした上でClaude CodeやNotebookLMに問題を出させたり、起案者のディレクターが自前で4択クイズアプリを作ってくれたのを使ったり、技術を駆使して効率よく学習を進めました。結果は受験した全員が合格で、HCDの基礎的な知識を身につけられたと言えそうです。

受検による学び

チームで受検後に感想戦を行い、大きく以下のふたつが学びになっていると言えそうでした。

ひとつは自分たちの向かっている方向が、HCDが示す方向と揃っているという自信です。たとえばHCDの基本的なプロセスとしては、「HCDプロセスの計画」を起点として「利用状況の把握と明示」「ユーザーの要求事項の明確化」「ユーザーの要求事項を満足させる設計による解決策の作成」「要求事項に対する設計の評価」の適切な反復が定義されていますが、これはチームが以前から実践しているスクラムやデュアルトラックアジャイルと通底する概念と言えます。他にも、VoCの整理は「利用者視点」を持って「利用状況の把握と明示」を効率よく行うために実施しているものですし、「顧客のくらしコーナー」は顧客との「価値の共創」を促進する営みと言えます。既存の取り組みをHCDの概念にマッピングすることで、全体における位置付けや取り組みの意義がより強固に認識されたと言えそうです。

もうひとつは、チームのプロセスをHCDという骨格で捉えることで、新しい考え方やプラクティス、手法が自然と想起されるようになったことです。たとえばチームの方向性を議論している時に、課題はこうなんじゃないか、いや違う、と各自の想像が広がっていった時に「利用状況の把握と明示だよね!」のひと声でスムーズに議論が進むシーンがありました。他にも、デザイナーが作成したモックを見る時にはオブジェクト指向UIなのかタスクベースなのかといった切り口を考えたり、QAのタイミングでエキスパートによるヒューリスティック評価を検討したり、これまでにはない発想やモノの見方が生まれています。

まとめ

この記事では、AI時代により価値のあるものをつくるために、チームで顧客理解に取り組み、その一環としてHCD基礎検定を受検した様子を紹介しました。HCDは顧客の苦い経験を減らし、嬉しい経験を増やすものであると紹介されていたことが、個人的には非常に印象的でした。toittaチームでは、今後も顧客理解に基づく開発を推進し、同じく顧客理解に取り組むひとたちに嬉しい体験を届けていきます。