🐙

エンジニアは生産性と品質について、もっと真剣に話し合うべきである

に公開

それなりの期間、CTOや開発部の責任者を務めているが、いつも残酷な事実を突きつけられる。
それは経営層は「開発」そのものには興味がなく、興味があるのは、いくら投資して、いつリターンが得られ、どれほどのリスクがあるかという一点だけということだ。

コードが美しいかどうかも、テストが整っているかどうかも、ドメインモデルが正しいかどうかも、本質的には関心の外側にある。彼らの頭の中には、収支計算と事業リスクの勘定軸しか存在しない。

ところが、AIが一般化し「AIが人の仕事を代替する」という幻想が経営の意思決定に入り込むと、ここに危険な誤作動が起きる。


“AIがエンジニアを置き換える”という誤解が、組織を壊し始めている

エンジニアは他業種に比べて人件費が高い。これは不都合な真実だ。サーバー代と合わせると事業上の固定費としての存在感も大きい。だから経営は、AIによって人件費が削減できるなら、それを魅力的な選択肢と考える。

だが一方で現場の感覚はまったく違う。

現実のAI活用は、レビュー、ドキュメント作成、テストコード生成のような“部分的補助”で止まっている。既存システムの構造が複雑で、人間系の暗黙知が大量に残っている以上、AIが主体の開発フローに移行するには膨大な再設計と環境整備が必要だ。

経営はAIに夢を見るが、現場はAIに現実を見る。
この乖離が想像以上に深刻だ。

そして、このねじれたまま経営が“AIシフト”を強行すると、次のような未来が訪れる。


AI任せでエンジニアが減った世界は、むしろシステムが崩壊する

経営判断としてエンジニアの大量削減が行われる。あるいは、過度なAI移行の圧力に耐えられず、現場が大量退職する。

するとどうなるか。

人間の理解を前提に作られたシステムの上に、AI生成コードが継ぎ足されていく。
整合性も品質も担保されないまま、開発速度だけが「表面上」速くなる。

そして半年、1年と経つ頃には、誰もメンテナンスできない巨大なブラックボックスが完成する。

結果として経営は、崩壊寸前のシステムをどうにかするために再度エンジニア採用に踏み切るが、時すでに遅い。

品質の悪いコードが蔓延し、手を付けられない状態になったシステムは再構築以外の選択肢がなくなる。

その現実を目の当たりにした経営者は、次のように思う。

「やっぱり人は生産効率が悪い。AIをもっと使うべきだ。」

こうして負のループが始まる。


この危機を防ぐために、エンジニアが“生産性と品質”を語らなければならない理由

最も深刻なポイントは、経営が悪いわけではなく、エンジニアも悪いわけではないということだ。
両者の間にただ“翻訳が存在しない”だけだ。

エンジニアが語る生産性は「開発速度」「技術的負債」「CI/CD」「テスト整備」といった概念に紐づくが、経営の生産性は「投資回収期間」「固定費削減」「利益率改善」である。

つまり、同じ言葉を使っていても、見ている景色がまったく違う。

だから本当に必要なのは、こうした技術的な努力を“経営の言葉”に翻訳して示すことだ。

例えば、

・技術的負債の返済は、1年後のM&A時の企業価値向上につながる
・コード品質改善は、保守コストの削減で粗利率数%改善につながる
・標準化と自動化は、エンジニア採用依存を減らし事業リスクを低減する

こういった説明を「数字」で示し、経営の意思決定の軸と結びつける。
ここができない限り、AI時代の開発組織は壊れていく。


エンジニアは“技術の価値”を可視化しないと、AIの波に飲まれる

AIは確かに強力だが、AI任せにできるほどシステムは単純ではない。
にもかかわらず、経営と現場の温度差は日に日に広がりつつある。

この危機を防ぐには、エンジニア側が“生産性と品質”をただ語るのでは足りない。
経営者が理解できる軸で、数字で、筋の通った形で説明しなければならない。

その努力こそが、エンジニアを守り、組織を守り、事業を強くする唯一の道だ。

AI時代の開発は、技術だけでは成立しない。価値の説明責任を果たせるかどうかで、組織の未来は決まる。

そのために、エンジニアは生産性と品質について、これまで以上に真剣に向き合う必要がある。

Discussion