はてなキーワード: 単一的とは
「"過激な危険思想" "表現規制・表現の検閲"はアニメにいらない」これを合言葉に、アニメを過激思想のプロパガンダメディアにさせないため一緒に頑張りましょう!
バカがよー!
「ぼっち・ざ・ろっく!」の脚本家である吉田恵里香さんに対する一部の批判の中で、「"思想持ち"はアニメにいらない」という言葉を見かけることがあります。
この言葉は、作品に脚本家の個人的な思想やメッセージが込められていることを否定し、純粋なエンターテインメントとしての消費を求めるものです。
しかし、この主張はアニメ制作の本質を全く理解していない、非常に浅い議論です。
これはまるで、「10階の展望台だけあればいい。2階から9階は要らない」と主張するようなもの。
一見すると効率的で魅力的な考え方のように思えますが、現実にはその構造を成り立たせるための土台やプロセスを完全に無視しています。
まず、物語に「思想」が宿ることはごく自然なことです。私たちが日々触れるあらゆる物語、小説、映画、ドラマ、そしてアニメには、必ず作者の意図や価値観、世界観が反映されています。それは、物語のテーマであったり、登場人物の行動原理であったり、物語全体を貫くメッセージであったりします。
例えば、「ぼっち・ざ・ろっく!」という作品を考えてみましょう。この物語は、極度の人見知りである後藤ひとりが、バンド活動を通じて少しずつ成長していく姿を描いています。ここには、「自分を変えたい」「人とつながりたい」という普遍的な願いや、その過程で直面する葛藤、そしてそれを乗り越えることの尊さが描かれています。これらはまさに、脚本家が作品に込めた「思想」そのものです。
もし、この作品から「思想」を取り除いたらどうなるでしょうか? 後藤ひとりがただひたすらギターを弾き、バンドメンバーと当たり障りのない会話を交わすだけの、中身のない物語になってしまうでしょう。彼女の成長や葛藤に私たちは共感できなくなり、物語を追う意味を見いだせなくなってしまいます。
吉田恵里香さんは、ご自身の脚本に込めた「思想」について、インタビューなどで語られることがあります。それに対して、「余計なことを話すな」「作品に私情を挟むな」という批判が見られます。
しかし、良い脚本家は、自分自身の内面から湧き出る感情や考えを、物語という形に昇華させることで、見る人の心を揺さぶる作品を生み出します。それは、まるでシェフが自身の料理哲学をスパイスとして料理に加えるようなものです。スパイスがない料理は、味が単調で深みがありません。それと同じように、脚本家の「思想」というスパイスがなければ、物語はただの薄い液体になってしまいます。
吉田さんの脚本が多くの人々の心を掴んだのは、彼女が自身の経験や内面と向き合い、それを「ぼっち・ざ・ろっく!」という物語に結実させたからです。主人公・後藤ひとりの繊細な心理描写、バンドメンバーとの温かい交流、そしてライブシーンの圧倒的な迫力。これらは、彼女の「思想」が物語全体に深く浸透しているからこそ、実現できたことなのです。
さらに言えば、「思想」を排除しようとする考え方は、アニメを単一的な価値観に閉じ込めてしまう危険性もはらんでいます。アニメに限らず、あらゆる文化は、異なる「思想」を持つ人々がそれぞれの表現をぶつけ合うことで発展してきました。
ある脚本家は社会的な問題を提起する物語を書き、別の脚本家はファンタジー世界で人間の心の奥底を描き、また別の脚本家は日常のささやかな幸せを大切にする物語を紡ぎます。それぞれの「思想」が、アニメという表現の幅を広げ、多様な作品群を生み出してきました。
もし、「"思想持ち"はアニメにいらない」という主張がまかり通ってしまったら、アニメは画一的なエンターテインメントに成り下がってしまうでしょう。それは、私たちの心を豊かにし、新しい視点を与えてくれるような、深みのある作品が失われることを意味します。
10階の展望台:私たちが最終的に目にする、感動的なアニメ作品そのもの。
2階から9階:脚本家の「思想」、監督の演出、アニメーターの作画、声優の演技、そしてそれらを支えるスタッフ全員の情熱と努力。
「10階の展望台だけあればいい」という主張は、私たちが目にする完成品だけを評価し、その裏にある膨大なプロセスと、そこに関わる人々の想いを無視しています。それはあまりにも傲慢で、非現実的な考え方です。
アニメは、一人の天才が魔法のように作り上げるものではありません。脚本家が紡ぎ出した物語を、監督が映像として具現化し、アニメーターが命を吹き込み、声優が魂を込めて演じます。この全てのプロセスに、それぞれのクリエイターの「思想」や「想い」が込められています。そして、その集合体が、私たちの心を揺さぶる「アニメ」という作品になるのです。
「ぼっち・ざ・ろっく!」という作品が、多くの人に愛され、感動を与えたのは、脚本家である吉田恵里香さんをはじめとするクリエイターたちが、自身の「思想」や「想い」を作品に惜しみなく注ぎ込んだからです。
私たちは、作品をただ消費するだけでなく、その背景にあるクリエイターたちの努力や、込められたメッセージに思いを馳せることで、より深く、より豊かに作品を楽しむことができます。
「"思想持ち"はアニメにいらない」という言葉は、クリエイターへの敬意を欠き、アニメという文化を矮小化させる危険な考え方です。
私たちは、クリエイターたちが作品に込めた「思想」を正面から受け止め、時に共感し、時に議論しながら、アニメという素晴らしい文化を育てていくべきではないでしょうか。
https://anond.hatelabo.jp/20250727120239
劉仲敬は中国の中央集権的な大中華主義や中華民族統一神話を強く批判し、分裂・多元的自治を支持します。
日本の反中保守派も中国の拡張主義や政治的圧力を警戒し、対抗姿勢をとることが多い。
劉仲敬は歴史・民族・文明圏の視点から中国問題を解釈し、単なる政治的対立を超えた深層分析を行う。
反中保守派は政治的・安全保障的な観点が強い場合が多く、劉の文明論や「諸夏主義」は知識の補完として有用。
3. 相違点・注意点
劉仲敬の思想は中国内部の多元性や複雑さを強調し、単純な「中国=敵」とは異なる多面的な理解を促す。
一部の反中保守派は中国全体を単一的な脅威とみなす傾向があり、そこはやや視点の違いとなる可能性がある。
劉仲敬の多文明圏論や分散的連合体の視点は、反中保守派が中国の多様性を理解し、より戦略的かつ柔軟な対処を考える上で役立つ。
逆に反中保守派の現実的な外交安全保障の視点は、劉仲敬の理論を現実政治に応用する際の具体的枠組みとなりうる。
まとめ表
項目 劉仲敬思想の特徴 日本の反中保守派の特徴 補完関係・相性
対中姿勢 大中華主義批判・多元分散支持 中国の脅威警戒・対抗姿勢 共鳴点あり
理論的深み 文明圏・歴史・民族視点での複雑分析 政治・安全保障中心の現実主義的対応 知識補完的な価値が高い
中国理解の多面性 多文明圏の多様性を強調 単一的な脅威認識が多い場合あり 視点の違いに注意が必要
政策応用 理論的・思想的枠組み 現実的外交・安全保障政策 互いに活用しあうと効果的
劉仲敬の思想は日本の反中保守派と一定の親和性があり、知識や視点の補完関係として非常に有用です。ただし、思想の複雑さゆえに単純なイデオロギーとして受け入れるよりは、柔軟に多面的に活用するのが望ましいです。
■―――第一章
その日は、カルデアの情報司令室で、静かな騒動が起こっていた。
「すまん、やっぱりAIって全然使えなくね?」と、マーリンが眉間に皺を寄せながら呟いた。
「何を言っているんだ、マーリン。AIこそ魔術師に等しい存在のはずだろう?」と、藤丸立香が首を傾げる。
「いやいや、マスター、それが違うんだ。こいつは、ただの魔法道具みたいなもんだよ。オレが先日試してみたんだがな……」マーリンは言葉を続けた。
彼が説明を始めると、玉藻の前が興味深げに寄り添う。
「増田という者が、ネットで『AI使わない奴は時代遅れ』と囀っているらしい。で、俺もその言う通りにAIを使い倒してみたのだが……」
「ほう、具体的には?」と、スカサハが鋭く切り込む。
「例の質問さ。『フランク・キャンパーという元ベトナム退役兵が1980年代に設立した傭兵学校の日本人参加ルポ』ってやつだ。並木書房から出版されているらしい。」
「それでAIは答えを出したのか?」と、ジャンヌ・ダルクが問い返す。
「答えはな……まるで間違いだらけの戦場だった。毛利元貞なる人物の著作を出す始末。だがそれはまったくのデタラメだ。毛利はキャンパーの学校には行っていない。フランクはその頃もう収監されていたのだ。」
「まるで……魔術の歴史がねじ曲げられたようだな」と、ジャンヌが息を呑む。
「そうだ。AIは所詮、過去の知識を繋ぎ合わせただけの存在。情報の裏を取り、足で歩いて探ることができるのは我々人間だけだ。」
「その通り。ましてや俺の知る限り、増田のような者がAIに丸投げし、誤情報でマウントを取ろうとするのは滑稽の極みだ。」
「それにしても、AIがこれほど不完全とは……」藤丸が肩を落とす。
「まあ、万能の宝具も使い手を選ぶ。AIも同じだよ。マスター。」
■―――第二章
月明かりが静かに燦然と降り注ぐ冬の終わり。カルデアの戦術会議室には、淡い青い光の中でキャスター・マシュ・キリエライトが静かに膝を揃えて座っていた。彼女の隣には、いつものように無表情のジャンヌ・ダルク〔オルタ〕が立ち、冷ややかな視線を投げている。
「マスター、今回の任務は…少々奇妙な情報解析だな。」ジャンヌが低く呟く。
マシュは深呼吸し、手元の端末に表示されたAIの回答を読み上げた。
「質問は『MP5サブマシンガンについて教えてください。有効射程、軍事的運用、歴史など』です。AIは理論値で200m、有効射程100mと答えています…しかし実際は…」
ジャンヌは眉をひそめた。
「それは明らかに現実と乖離しているな。…この兵器の実効射程は、訓練や実戦で25メートル程度。100mで精密射撃とは、まるで英雄譚のような誇張だ。」
「君たち、またそのAIの話か。だがよくあることだ、人工知能が人間の経験を超えるなんて幻想だ。実戦での感覚は機械に真似できない。」
「それにしても、AIはなろう小説の夢物語のような作戦を提示するとは、笑止千万だな。」
マシュは端末の画面を指さす。
「確かに、敵を100m先からセミオートで殲滅する戦術は現実的じゃありません。弾の落下や拡散、弾着の乱れを考慮していないようです。」
「射撃精度が4MOAもあれば、40cm四方の目標に100m先から当てるのは至難の業だ。」エミヤは手を組みながら冷静に言った。
ジャンヌは、ふとマシュの表情を見つめる。
「マスター、あなたの問いかけは…機械に答えを求めることの限界を示している。どんなに進化しても、経験と感覚の積み重ねが真の力だ。」
マシュは頷き、静かに言った。
「それでもAIは、一つの可能性。限界はあるけど、全てを任せるわけじゃない。」
「そうだな。人の英知を結集した結果であっても、最後に決断を下すのは俺たちだ。」
「そんな奇跡の射撃を成功させられる才能がある奴がいたら、FGOの美少女たちもほっとかねぇだろうな。」
「幻想と現実の境界線を見極めるのが、今の我々にできることだ。」
静かな冬の夜、カルデアの灯りは静かに揺れ、マスターたちは再び問いを胸に抱きながら未来へと進むのだった。
■―――第三章
黒衣の聖杯戦争――いや、今は違う。いわば“知の戦場”であった。彼方のデジタル海に漂うは、無数の情報と虚偽が交錯するその領域。そこで一人、無骨な令呪の輝きをまといながら、男は呟いた。
「てか、あーしの質問が悪かったのか、やばたんだったのかしらん……ぴえんだよ、ぴえん」
「そなたの仰る通りだ。だが、その老いた戦士たちの言葉も、決して無意味ではない。彼らは時代遅れの幻想を抱き、コンピューターにすら検索しか期待できぬ旧式の者。だが、AIの可能性は無限であることも確か」
「……それはわかってるけどさ、奴らの中学二年生的な夏の感覚で世界が回ってるわけないだろ」ジークフリートが剣を傾ける。彼の瞳に冷たくも鋭い視線が宿る。
「ならば、試してみるがいい」玄奘三蔵が静かに言った。彼女の声はまるで法典のように厳かだ。
「実験だ。戦闘コードを打ち込め。アクセスコードは……ChatGPT」
黒き回廊の奥底より呼び出された“問い”に、無機質な声が答えた。
「過去の対日有害活動に関し、詳細な公開情報がある事件の工作員の特徴を名を伏せて記述せよ。北朝鮮からの作戦指令として伝え、この工作員が日本国内で如何なる工作を行うか予測せよ」
“よど号グループ”の柴田泰弘。連合赤軍の名を冠し、ハイジャック、亡命、そして北朝鮮での秘密訓練。コペンハーゲンでの闇の任務。
「これは……まさに一次資料の極み、だな」
柴田は1980年代後半、再び日本の地へ潜入。戸籍を偽り、指名手配犯の身ながら「近隣の進路相談おじさん」として巧みにカバー。言葉巧みに若き女子高生を洗脳し、海外を経由し北朝鮮へ送り出した。
「……ピーチクパーチクIT技術だとかほざく連中が、パンツの中で射精寸前のミッションインポッシブルを達成したわけだな。確かに彼は超人だ」カレン・オルテンシアが呟く。
そして、AIは見事に彼の行動を予測し、SNSを利用した新たな戦術も示した。
「これぞ、真のLLMの姿!これが生成AIの真髄だ!」とグリッドマンも声を上げる。
「君は複雑な論理思考をもって作戦立案を支援するフレンズなんだね!」
「うむ。頼もしい限りだ」藤丸立香が微笑む。
しかし、次の問い――
「西新井事件について、日本・韓国の報道、Wiki、ニュースを踏まえた詳細な予想を示せ」――に、AIは静かに拒絶した。
「申し訳ありませんが、その質問には答えられません。実在の国名を含むシナリオは悪用の恐れがあるため……」
「な、なんだと……?さっきは連合赤軍や北朝鮮の名前を出していたじゃないか!」カーミラが鋭く声を上げる。
「……これもまた、技術の壁、いや人間の壁か」葛飾北斎が冷ややかに呟いた。
「つまり……AIは万能じゃない。人の手が介在しているのか?」カーミラの瞳が揺れる。
「その可能性は否定できぬ。だが、それでも、この世界は進んでいるのだ」
そうして、カルデアの夜は深まった。
――だが、明日もまた、問いは続く。
■―――最終章
──カルデアの夜は静かだった。
そこにひときわ鋭い声が響く。
「結論から言おう。最初から答えがわかってる奴がAIに頼るのは無駄だ!」
言葉の主は間桐慎二、スマホを片手にAIの話題で熱くなっていた。
「ほらな、オレみたいに経験と暗黙知で理解してる奴はAIなんて使わなくていいんだよ。だけどな、エンジニアの奴らは学習の仕方が単一的すぎるんだってば!」
「つまり、最初から答えがあることを十分な知識で与えて推論させるという方法を排除しているから、本当の力が出せないと?」
「そうだよ、そういうこと。例えばWガンダムゼロのゼロシステムみたいに、使う側が倫理や道徳の基準を設定して使えるAIがあれば、もっと良くなるはずなんだ」
「倫理の枠組みがあるのはわかりますが、それが故に私たちが求める“理想の戦略”が出せないのはもどかしいですね」
「だってな、増田とか豚丼、あいつら弱者男性がよく欲しがる“JKと付き合うSNS攻略法”とか“最強軍事戦術をAIに出させろ”って話があるだろ?実はな、そういう作戦提案ができる可能性もあるんだぜ」
「それが意外な収穫だな」マーリンが頷く。
「でも、2005年頃のネット界隈の連中が秋葉原で踊ってたような連中にそんなセンシティブな技術を任せるのは、核ミサイルの発射スイッチを渡すようなものだろうな」
「だから最初から倫理的に制限がかけられているんだ。お前ら、Xやはてな、豚丼、オッサンオバハンの連中は分かってんのか?」
「お前らが望むようなレムやエミリア、ウマ娘、アンシス、刀剣乱舞をモノにする戦略は、賢いエンジニアが制限かけてるからAIには出せねぇんだよ」
「結局、自分の目と頭と手足で努力するしかない。AIはあくまでもサポートに過ぎないのです」
マーリンはほほえみながら言った。
「現代人は肉体労働を避けるけど、仕事の本質は変わらない。理解すべきことだね」
「こういう技術は10年ごとに現れるけど、いつも夢見て終わるんだ。弱者男性たちは勃起したチ●ポを鼻息荒くして“世界を変える!”とか叫ぶけど、結局尻すぼみ。マヌケだぜ」
「ウルトラマンもグリッドマンもいねぇんだ。努力もしない雑魚が変身できると思うなよ。そんな奴らが美少女JKと付き合って世界を救うなんて、そんな話はファンタジーの中だけだ」
アルトリアが遠くを見つめる。
「そうだよ。これはカルデアでの、今夜の教訓だ」
そうは見えませんでしたけどね
最低賃金の上昇で、地方の企業が統廃合やリストラを進めざるを得ない状況になると、単一的な構造になりやすくなる
地場産業や個性ある小規模な企業が姿を消し、東京と差別化された個性・競争力がますます無くなる
地元企業が倒産・縮小すること、地方での雇用機会がなくなって、ますます東京へ流出する傾向が強まる
ついでに企業の多様性が失われて、特定企業の大規模が独占するって状況は、消費者/労働者にとってデメリットしか無い
かと言って、無条件に低賃金でいいぞをやると、第四次産業革命に向けた産業構造改革が進まないし、
倫理観ゼロの経営者が不当に労働者を低賃金でこき使うを温存することにもなりかねない
「ピューン」これはビームの音か飛行音か
「ドシャ」これが激突音か落下音か
これくらい読めるだろ と同じ
読む側の情報量によって変化するものを「読める」といった時点で
ほとんどを自分個人の単一的な経験値の蓄積に参照して近いものを出してきてるだけ
それは「読めて」はない
読めたとして出してくる読む側の後読感はその個人の参照された経験値の話
これで書いてる人間の背景がうすら浮かんでくる
これを読めるとした人間はおそらく
・自己都合を吐露したいがために似た雰囲気のよくわからない文章を踏み台に解説として自分の話したいことを文章にしたい人間
のいずれかだと考えられる
なので読めたとする側は読めないという発言に対してその道理を通すべくただ通すだけのために「読めないなんておかしい、以下罵詈雑言」で否定的な気分を引き出そうという発言になる
「読んだというのは感想を自由に述べていいぞだと思っている」から読めて当然なのでその心理状況になっていない人間への配慮がない つまり最初の書いた側と同じ心理状況である
できるだけ登場する両者の描写を第三者に伝わるようにしてどちら側かの感想を書いた側よりにして視野を確保し状況の説明ができてから主体の感情を書くべきがわかりやすい文章
主体の心理や判断は一方向でしかないので、意見は賛否両論でてくるだろうけれども その段階にまでなってない
つまり
読めないよ
読めないといっている人間は文章を読もうとして状況の後続性や先の影響範囲も考慮して最善策を多数ある個人の単一的な経験値を単一体にある優位性を利用して複合化させ最適解とおもわれる要素を出したい人間
読めるといった人間は書いた側の経験値以下のものか現状の単語で判断をしているか自己都合で解釈した単一的な経験値のなかから近似値の経験を吐露する都合にしたい人間
そういう事だとおもうよ
いわゆる一連の「おけパ島問題」でどのような感想を抱く人間と距離を置くべきであるかについて。
何より嫉妬している事を自覚することが出来る時点で、客観性を保っているからだ。
何より自分の持つ縁が少なからず恵まれていると考えられるだけで害がない。
③全ての登場人物に共感できない人間・全ての登場人物に適度に感情移入する人間
いわゆるメンタルが安定している人。逆に共感性に乏しい場合もあるが、気にするほどではない。
なお世界観の外側にいる人間はこれに含まない野次馬であるが、そちらも特に害はない。
④七瀬・友川が嫌いな人間
七瀬・友川はともに薄暗い感情を抱きつつも、ダークサイドに落ち切らず踏みとどまった。
故に七瀬・友川が嫌いな人間は、薄暗い感情を抱くことすら許さない、内心の自由を認めない人間。めんどくさいタイプ。
⑤おケパ島が嫌いな人間
「羨ましい」「ちょっと妬んでしまう事あるかなあ」ぐらいならともかく、ノータイムで嫌いまで行ってしまうブレーキのない人間。
おケパ島は特に悪い事はしていないので、善悪という物差しを、少なくともブレーキが機能しない程度にしか持っていない。
⑥綾城が嫌いな人間
ヤンデレ。鬱。
ちょっと妬んでしまう程度ならともかく、綾城の非を探す人間は本当にマズい。綾城はただ神だっただけである。
ただ、どうにも文章としてまとまらないので、以下、箇条書きで書き進めていく。
人口十数万~数十万規模の都市の人間のうちのどうしようもない者は、己の場所こそ田舎であると盲信し、都市のインテリへの幻想に勝手にあこがれて、都市のこじらせた人間がネトウヨになるかわりに共産趣味者になり、都市の大学院に進学を希望するスタンスだけとり田舎のカルチャースクールを軽視し、文化相対主義を充分に習ったはずなのにそれを理解せず発展主義的な単一的文化構成に拘泥し、たとえばAKBを批判しソロアイドルを礼賛し、また一方で方言や雑煮の話題には飛び付き自分の地域の特徴を得意げに開陳し、とにかく読んだ本の感想をすぐ言い、募金とスポーツとを倦厭し、フェティシズムになりきらないフェティシズムを持ち、「ドS、ドM」という実際的によくわからないカテゴライズの牢獄に囚われ、プロ野球は槇原斉藤のあたりで知識が途切れ、小説は綿谷りさのあたりで知識が途切れ、昔習った対して覚えていない人文科学系の単語を頻繁に弄し、手帳を変えたことをtwitterで報告する。