はてなキーワード: テロとは
日本の一般大衆は、デモやストライキには嫌悪や冷笑を示すが、テロに対しては寛容である。
どれも人間が主体で発生する事象なのだが、テロを自然災害のような「不可抗力」だと思ってる。
日本人の一般大衆にとって「中国」は、大国ではあるがデモやストと同列で、
正直、日本のニュース見てて思うんだけどさ、テロリストの名前も主張も普通に垂れ流してる時点で完全に遅れてるんだよね。
先進国っていうのはもうガチガチに規制がかかってて、危険思想を広める余地なんて最初から潰してるんだわ。
テロリストが「こういう理由で犯行に及んだ」とかいちいち報道するって何のメリットがあるわけ?
宣伝手伝ってどうすんだよって感じ。
例えばトランプが銃撃された事件、あれだって日本じゃ大騒ぎだったけど、アメリカではそもそも知らない人が多数派ってマジの話。
政治とか思想とか危険な情報は一般層に届かないように徹底管理されてるから。
どこか間違ってる気がする。
アメリカ 世界資産総額の45%は米ドル。家計金融資産は28兆ドル(2022年)。AIや戦争で電力を消費して産油国ロシアやイスラエルを支持。イスラムテロはうれしくない。
イスラエル アメリカに言われて、ロシア産石油を消費するのでイスラムと戦争もする。そのためにポーランドやドイツから引っ越して建国した。2005年だけガザ撤退した(日本の敵国条項廃止のため)
日本 家計金融資産は2239兆円(15兆ドル。金融資産全体は9704兆円、2022年)。原油は輸入。官僚と医療制度(中華氏族込み)の支配。環境汚染だらけ。男尊女卑が長かったし資源は輸入したいほうなのでイスラムは割とOK。
環境庁 弱い
中国 ドル準備額がすごくある。鉄道敷設時代の縁で実はアメリカとはわりと仲良し。昔から日本は警戒しているので日本は途上国支援してくれ。ロシアと北朝鮮から圧力かかるのは嫌。
イギリス・連邦 個人金融資産が7,506億ポンド(9832億ドル。2022年)。海上紛争があれば保険で儲かるんだけどな。部外保険のタンカーの経済制裁逃れは許さん。
インド 先進国の人もしり込みする高度IT人員を提供できます。
ドイツ 医療制度支配なら任せなさい。南ドイツ新聞に寄付よろしく。
山上のテロ容疑者扱いは変わらず、単に教団側の被害者性が強まってしまうので、仮に事件を起こした背景の悲劇性が語られても教団の違法化には繋げにくかっただろうな。
殉教者が発生して教団側の結束が強まることの有害性のほうが勝るかもしれない。
もし直接の元凶の母親を殺していたら、事件の背景となった教団の悪質性がナラティブとしては喧伝されそうではあるが、よくある新興宗教に陥った人間ドラマ程度のものとして消費されていた可能性が高いと思う。
「山上=加害者」「教団=被害者」となると違法化に繋げにくいのでそこを回避する必要があった。
「山上=加害者」「教団=トリガー」「母親=被害者」だと世間へのインパクトという面で弱い。
「山上=加害者」「教団=トリガー」「元総理=被害者」これが教団の悪質さを最も効果的に世間へ広めることに繋がったよな。
安倍と教団の関係性もかなり重要で、固定的な反安倍の立場からの評価だと関係性の強さばかりを強調して問題化されがちなんだけど、実際は関係性の「薄さ」のほうが効果的だったと思ってる。
いわゆる「ズブズブ」にもグラデーションがあるというか絶妙な塩梅のズブり具合だった。
ズブズブにみえてそこまでズブズブではない少しズブズブな関係。
もし安倍が統一教会の信者だったりしたら(例えば山上が創価学会の被害者で、安倍が公明党の総理だったら)逆に教団と安倍のズブりが数段階上がってしまうので「教団の被害者性」が強調されてしまう。
「信者でもなく、なんか影響力を利用する存在で、超有名人」 安倍がこの立ち位置にいたことで上記の黄金比が達成されたと思う。
普段から暴走行為してるアホが単独自損事故で首がもげたとしても悲しむやつはまずいない。むしろよかったねとせせら笑うくらいのものだ。
安倍首相が殺されたのも、「安倍は極悪人」という世界観の人にとっては暴走首もげと大差ない事象だろう。それはまあどうでもいい。
しかし犯人の山なんとかにとってはどうなのだろう。罪悪感というのはなかなかに複雑なものであるからただのバカにはわからないかも知れない。しかし山なんちゃれはそこそこ頭は悪くなさそうである。
統一教会の偉いやつを殺すでなく、母親を殺すでなく、「自分の苦境は間接的に安倍のせいだ」という理屈で、また「元総理を殺せば注目を集めて統一教会にダメージを与えられるだろう」という打算によって、一人の人間を殺す。
銃を手に向かってくるのを返り討ちにするのでもなく、何も気づいてない話したこともないおっさんを射殺する。
いまどんな気分かな?
あらゆるテロはある意味でヘイトクライムであると思う。「コイツの命なんか自分が目的を遂げるための道具にすぎないんだ」と、文字通りにひとをモノ視しているから。
そのまま罪悪感のスイッチを切ったまま平気で生きていくか、どこかで「自分はなんということをしたんだ」と後悔に捕まるか。どっちも普通にありえるとは思うが。
見沢知廉は内ゲバ殺人については特に反省するようなことは書いてなかったと思うが、後悔しすぎて触れられなかったのだろうか。自殺したのも自責のあまりか。それとも単にうつ病か何かか。
フィクションではよく盛大に反省してひたすら贖罪の人生を送るナイスガイが出てくる。その反動で、いや人間なんてもっと血も涙もないもんでしょと思ったりもする。
しかし自分の都合のために直接知り合いでもない他人の人生を終わらせることの重みは、まともに考える頭があるなら軽いものであるはずがないのだ。
「虐殺器官」の中ではフワッフワの仄めかししかなくてマクガフィン丸出しだった。
あと、途上国で虐殺起こせば先進国でのテロが減るってのも意味不明だし。
虐殺文法を現実化する一案がある。「馬鹿を戦略資源として使う」のだ。
社会の中で誰にも相手にされてないやつをピックアップして小さな権力を与える。
あるいは判で押したようなことしかいわない有象無象の一人をインフルエンサーとしてまつりあげる。虐殺文法とは、なんのことはない、馬鹿が語る馬鹿話そのものだ。馬鹿をエンカレッジして対話の土壌を枯らしていけば、いずれどこかで虐殺の角笛が聴こえるだろう。
という言葉がある。ひどい目に遭わせてきた相手に対して、復讐なんてしなくても、こっちが幸せになればそれで勝ち、という意味なんだろう。
でも、誰かや組織に人生をめちゃくちゃにされて、もう再起できず、不幸のまま生きていくしかないおれみたいなやつにとって、この言葉は残酷すぎる。
それは、言い換えれば「幸福になれないお前には、復讐すら許されていない」と突きつけられているようなものだ。そんな言葉は、
極端な話、テロや暴力に走ってもおかしくないくらい、人の心を追い詰める残酷さを持っていると思う。
じゃあ、不幸なまま生きていく人には、どんな言葉があるんだろう。
頑丈な信仰でもなければ頼れないような、静かな支え。
人間の経済・社会は複雑系の典型例なので、国際政治も複雑系なんでないかなぁ。
ちなみにAIに聞いた回答はこんな感じ。
はい、国際政治は「複雑系(complex system)」とみなすことができます。
「複雑系」とは、多数の要素が相互に影響し合い、全体として予測困難な振る舞いを示すシステムを指します。特徴としては以下のような点があります:
• 非線形性:原因と結果が比例しない。小さな要因が大きな結果を生むこともある(例:バタフライ効果)。
1. 多様なアクター:国家、国際機関、企業、NGO、市民などが関与し、それぞれが異なる利害を持つ。
2. 相互作用の多様性:外交、経済、軍事、文化など多層的な関係が絡み合う。
3. 予測困難性:一つの事件(例:テロ、政変、経済危機)が予期せぬ波及効果をもたらす。
4. フィードバックループ:ある政策が他国の反応を呼び、それがさらに元の国の行動に影響する。
5. 非中央集権性:国際社会には絶対的な統治機構が存在せず、秩序は相互の合意や慣行によって形成される。
国際政治を複雑系として捉える研究は、特に21世紀以降の国際関係論(IR)において増えており、「複雑性理論(complexity theory)」を応用した分析も行われています。例えば、グローバル化による相互依存の深化や、非国家主体の台頭などが複雑性を高めているとされます。
したがって、「国際政治は複雑系である」とする見解は、学術的にも一定の支持を得ており、現実の国際関係の理解にも有効な枠組みといえます。ただし、これは一つの分析視角であり、他の理論(リアリズム、リベラリズムなど)と併用されることが一般的です。
その弱者達が助けてもらえなかった、助けたい姿をしてないが故の迫害に恨みを募らせて
「恐れも何も無く、この世全てに対する憎悪を抱えた怪物」と化し、暴走した結果簡単に危害を加えられる相手へ様々な害(暴力、無差別殺人、レイプ、盗難、テロなど)を行ってしまった時には
「助けたくない真の弱者」を助けなかったが故の後味悪さと、無力感があるよね
それが助けたくない姿してたとしても、耳塞いで目を瞑ってでも助けるべきだわ、怪物を作り出さない為にも
模範的増田として表現するならお腹痛い日のうんちみたいな映画だった。
最初は今日は普通のうんちかなと思ってたらだんだん緩くなって最後にビチビチうんちになるそんな映画。32点。
傑作韓国映画「テロ・ライブ」のリメイクなんだけどいったんそれは置いておいて。
序盤はめっちゃいい。
テレビの報道風番組が「政治家と電力会社の汚職」について討論している裏で、阿部寛のラジオ番組では「犬派?猫派?」で討論しているギャップから入り、犯人からの電話を小馬鹿にした対応をとる阿部寛の傲慢な性格を描写し、そして実際にテロが起きてしまう。
警察に通報しようとするスタッフを止め元々自分がメインキャスターを務めていた報道風番組のディレクターに掛け合い、独占スクープにして返り咲きを試みる阿部。緩いラジオの空気が一気に張り詰め。ラジオ局では無精ひげでオフィスカジュアルだった阿部がどんどんキャスター然としたルックスに変身していくのは楽しいし、報道規模が上がっていくのもエスカレーション感があり気持ちも高まってくる。
スタジオではマイクが爆発し、キャスターの席に着いた阿部のイヤホンにも爆弾が仕掛けられていることが発覚。緊張がピークに達し、そこから急降下していく。
ここから急に全部が雑になっていく。
犯人は当初「父親が発電所の建築に関わっていたが事故で死亡。しかし会社はそれを隠ぺいした。社長をテレビに呼び出して謝らせろ!」と要求する。しかしその後、「ギャラ1億出せ」と言い出し、「やっぱ総理大臣呼び出して謝罪させろ」と言い、最終的に「阿部寛、お前の罪を告白しろ」と言い出す。
ハァ?
犯人は父親の事故死を取材してたのにそれを発表せず握り潰しに国民的ニュース番組で「真実を明らかにする!」とか言ってる阿部寛のことを一番恨んでいたのだった!ということがわかるんだけど、そのために発電所爆破するか?という話。そもそも握り潰すかどうか阿部寛に決定権ないだろ。さすがにこれは説得力ない。
また犯人の祖父が犯人の幼少期の教師だったとしてスタジオに乗り込んできて、突然発狂しだしてピンマイクを爆破され殺害されると見せかける展開があるんだけど、普通は生死確認するだろ。そもそも普通はスタジオに入れないだろというのはもう報道ズハイになってるんだと強引に解釈しても、さすがにゲストとして出した人物の胸が爆発して倒れたら駆け寄るし、生死確認はするだろ。放置するのはあり得ない。
しかもその後数分間は妙に死体(死んでるとは言ってない)越しのショットが多くてはいはい死んでない死んでないってある程度リテラシーのある視聴者にはわかる作りになってるのも逆にうるせぇ。
他にも竜星涼が演じる阿部の後任キャスターが犯人から送られてきた不正告発メールを元に阿部の不正疑惑を突然糾弾しだすんだけどめちゃくちゃ演技がかってて「我、正義の探究者ぞ!!!!」みたいな感じでドン引き。テロリストに爆弾まみれにされたスタジオで犯人に空気入れられてよくその態度になれるな。こいつが犯人なのでは?と思うほどだけど別にそんなことはなく、単に突然スイッチが入ったカッコつけ正義マンだった。なにこれ。
見せ場のために見せ場を配置しすぎなんだよね。シーン単位でしか考えられてないから、物語の流れで見るとそこがどう見えるかが考えられてないんだと思う。
最悪なのは最終盤の展開。
阿部寛が犯人の父親の事件を公開しなかったのは実は電力会社、総理、テレビ局の談合の結果で隠蔽する褒美として阿部寛は報道風番組のメインキャスターに抜擢されていたことが発覚。なるほど、だから犯人は「電力会社」「総理」「阿部」に謝罪を求めたのかと感じるんだが、でもこの事実は犯人知らないんだよ。
阿部が「すいません、俺が隠蔽しました。真実はこうでした」って自分から持ち出してくる証拠だから。
なのでやっぱり犯人の要求が二転三転したのは何だったの?ってなっちゃう。
そして阿部は犯人のお前の罪を告白しろという要求にこたえ、突入した公安に犯人は逮捕される。
すると阿部は突然発狂し「この2時間マジで興奮した!!!これがやりたくてテレビ入ってきたんだよな!!!」と言い出し、頭おかしすぎて草ァ!と思ってたらその勢いで「じゃあ視聴者の皆さん、俺が死ぬべきか生きるべきか視聴者投票しましょう」と提案。なぜかスタッフがそれに乗って画面にアンケートを出すのも本当に意味不明。出すわけないだろ。
その投票結果は作中には登場しないんだけど、結果を見た阿部は犯人が持っていた爆弾の起爆装置を手に取りスイッチを押す。
その後、事件を政府ぐるみで隠蔽したのはどうだこうだ話すコメンテーターや、今回の事件を塗り替えるようにロンドンでテロが起きてどうのこうの、そんなこととは関係なくヒット曲を流す音楽番組みたいな「はいはい事件があっても何も変わりませんよわかったわかった」という映像が差し込まれて、パフュームのキレッキレのダンス映像がエンディングで流れて終了。
この展開、特に阿部寛が発狂して視聴者が「死ね」に投票するのおもろいと思ったん?阿部もアンケート出すスタッフも頭おかしすぎてハァ?としか思えんわ。
もろちん途中で阿部がとった「総理は謝罪すると思いますかアンケート」の結果、圧倒的に「しない」が優勢で「おい総理、お前こう思われてるぞ。考えたほうがええんちゃうか?」と糾弾した展開のミラーとして「俺はちゃんとするぞ」という姿勢に捉えられなくもない。でもそれって、総理が「俺が謝罪した方がいい?」と聞いて「謝罪しろ」の結果に対してブッチしたのに対してなら成立するけど、勝手にアンケート取っといて無視したことに対するミラーリングとして成立してないだろ。
もうこの最後の展開がビチビチうんちすぎて本当に憂鬱になった。
原作では主人公の設定自体は同じで爆破箇所が発電所ではなく巨大な橋に。犯人の要求は大統領の謝罪一本。橋にはリポーターとして主人公の前妻が向かっていて第二爆発で危険な状況に。刻一刻と状況が悪化する中、大統領は一向に謝罪する気配はなく、橋は崩落し前妻は行方不明に。大統領秘書とテレビ局長が組んで主人公の過去の癒着を全国的に公表しさらには今回のテロの犯人一味だと発表。犯人は射殺され、主人公を逮捕しようと警察が迫る中、主人公は犯人が遺したテレビ局に仕掛けられた爆弾の爆破スイッチを押す。
まずリメイク版では「誰もいない旧発電所」を爆破していたのに対して、原作ではバリバリ稼働中の橋を爆破する。そして最終的に主人公の前妻が巻き込まれた際に犯人は声を震わせ「こうでもしないと大統領は謝罪しないと思った」と述べる。覚悟が違うよね。
前妻がテロ現場に残された結果、主人公にも大統領に本気で謝罪を求めるべき正当な理由ができ、あ最初は功名心だけだったのがだんだん"正義"に目覚めていく。あるかないかわからんスタジオの爆弾じゃなくて、目に見えて危機に瀕している人を配置する(しかも橋はどんどん崩落していく時間制限まである)のは展開としてやっぱ強度が違う。
しかしその結果として最後には主人公が自分のすべてを国と組織に剥ぎ取られた結果、犯人と同化しテロリストとなり自害する展開は、誰もがテロリストになりえるというテーマ性や、こうでもしないとこうまでしても何も変わらないという強い諦観、そして現状に対する強いメッセージ性があった。
なに、最後の阿部寛が発狂してこれがメディアだ!視聴者だ!ジサツ!っていう露悪展開。アホなん?
規模感もメッセージ性も全部後退してる。リメイクする意味is何?インド版リメイクはめちゃくちゃ頑張ってたぞ。
地域性を鑑みた改変はいいよ。リアリティを高めるために必要なこともあるよ。
[B! 犯罪] 「テロリストに何かコメントすることはない」小野田紀美氏 安倍氏銃撃事件の背景問われ
yas-mal 本当に、ネトウヨがそのまま大臣になった感じなんだな
triceratoppo とコメントしてて草。というか、まだ被告人でしょ。/ネトウヨが喜びそうな発言、SNSのパフォーマンスが上手な人だな。低学歴だから低学歴の庶民の気持ちが分かるんだろうな。
tekitou-manga 意味がわからない……こたえないための詭弁やろ。普通のテロでは無いのにね。寧ろ、テロ「ともいえる」レベルの話なのに
zsehnuy_cohriy フフ、やっぱそういう感じよなこの人は。なんとしてでもアレをテロリストと言うことにしたいし、壺が中枢にめり込んでたせいで何処までが政治かわからないらしい。しかも裁判もまだろくにやってねえのになあ?
akikonian 山上はテロリストであるというのが政府見解ってことでいいんですかね。「管轄外」としてコメントを拒否するのは理解できるけど後の一言が余計だな。高市といいコイツといい当事者意識が欠けてんだよな。
fugofugo 安倍晋三元首相の銃撃事件は政治的目的を達成するためのテロでなく、ただのカルト宗教関係者への私怨で発生した事件のように思うんだけど自民党内では違う解釈なのかな。
yarukimedesu お前らは問題の背景を直視して、次が起きない世の中を作るのが仕事だろうが。何がテロリストだ。生意気に切断処理してんじゃねーぞ。問題と向き合えよ。
はてな民が絶賛してるのでこれはやばそうだぞって思って調べたけど
当選直後のマムダニに批判的なアメリカ人のまとめ(つまり執政前の批判論陣まとめ)はこんな感じ。
X投稿:「NYPDを解体せよ(Defund & Dismantle the NYPD)」
→ 選挙中も削除せず残したまま
X投稿:「NYPDは人種差別主義者でホモフォビアでトランスフォビアだ(The NYPD is racist, homophobic, and transphobic)」
→ 過去発言との矛盾を突かれ「フリップフラッパー(ご都合主義)」と批判殺到
・「父が語った話」と後で訂正したが、完全に虚偽と確定
→ ADL(反デファメーション連盟)が「反ユダヤ主義の教科書的例」と指定
ラジオインタビュー:「パレスチナに自由が訪れるまで武装抵抗を支持する」
• 2017年 ラップ曲『Kill Your Landlord』
→ 選挙中もYouTubeに残っており、共和党が「暴力扇動」と攻撃
「不法移民もニューヨーカーだ。運転免許も投票権も与えるべき」
• 2023年:「イスラエルはアパルトヘイト国家であり、存在する資格がない」
「私はすべてのニューヨーカーを代表する。ユダヤ人も警官も含めて」
過去発言とのギャップから「当選した途端に偽善者になった」とXでトレンド1位に
個人的には1と5があまりにもヤバい、社会を破壊するものだと思う。
けどアメリカでは2の911で嘘ついてたのが心象的にでかいらしい。
家賃があまりにもどんどん上がって悪い資本主義だから殺せってなるのは
支持者の気持ちはよくわかる気がする。
とはいえ家賃抑制がものすごく難しくていろんな国で失敗してるのはご存知の通り。
金持ちとユダヤをあまりにも真っ向敵に回して調停的な施策も打てない・打たないのだろうし
有言実行の男なら南アフリカみたいに社会ぶっ壊しながら富裕層の資産没収して追放、
めげる男なら不法移民呼び込みとか警察解体とか比較的実行難度軽いことだけ実行になるのでは。
どっちにしても退任後に残されるのは第三世界っぽくなったニューヨークだと思う。
はてな民はこういう破滅ではない、ニューヨークやアメリカにとってより良い未来のルートを考えられるからマムダニを褒めてんの?
それとも単に、「希望は戦争。」みたいなノリでカタストロフの予感に拍手してんの?
意見を聞きたい。
あとはてな民は3と6を褒めたたえるのだろうけど
ここについてのスタンスで票が増えたのだとすれば
むしろその分だけ市長としての能力適性に疑問点が増えるやつだと思う。
イスラエル批判(昔から全然品行方正な国家でも民族でもねーと思う)なんて許さずに
批判した側を差別主義者として石打刑にして善人顔作ってたと思う。
はてな民のそういうスタンスって大した思考や検討があるわけでもなくて
端的に無価値だよね。
「日本という共同体」そのものは目に見えない。触れないし、握れないし、形もない。でも私たちは、その「形のないもの」を前提にして、同じ道路を使い、同じルールで生きている。その目に見えない共同体をどうやって「そこにある」と確認してるのか?答えは単純で、象徴(シンボル)だ。国旗は、政治的な押しつけアイテムじゃなくて、私たちは同じ場所に立っているという共通認識のマーカーなのだ。
国旗を破って燃やして踏みつける行為は「私はこの国が嫌いです」という話ではなく、「この共同体を支える合意を破っていい」という宣言になりやすい。これは思想じゃなくて秩序の話。好き嫌いの話ではないし、心の中を強制しようとしているわけでもない。
「共同体をつなぎ止めてる目印に対して、どこまで攻撃を許すか」という、いたって地味で現実的な議題なのだ。
ここからが本題。代表的な反対意見(岩屋・橋下・日弁連)を見ると、どれもロジックがお粗末極まりなく、目も当てられなかった。法律の専門家(笑)が言うことかよ、というレベルだったので、あえて向こうの土俵で論破する。
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■岩屋毅(引用元:https://www.iza.ne.jp/article/20251104-KATPZGUBWFGNLBZXMVYLNT4XMA/)
>「当時、反対しました。なぜなら『立法事実』がないからです。立法事実とは、実際にそうした事例が社会問題になっているかということです。日本で誰かが日章旗を焼いた? そんなニュースを見たことがない。立法事実がないのに法律を作ることは、国民を過度に規制することにつながるので、それは必要ないのではないかと言いました」
一見もっともらしいが、この論法は立法事実という概念そのものを誤解している。立法事実というのは「すでに大量に事件が起きているかどうか」だけではない。とくに象徴や治安や社会秩序に関する立法では、「問題が顕在化してからでは遅い」という前提そのものが、法律の必要性を支えている。実際、現代の法律の多くは「予防的」に整備されている。
・・・本当に早大を出て閣僚を経験していてた人の理屈なのだろうか。国旗損壊罪が問題にするのは、「布が燃える現象」そのものではない。象徴が公然と破られることで、社会の緊張が増幅される・対立と敵対意識が活性化する・集団の統合が崩れる という作用のほうだ。この「象徴毀損→社会不安の増幅」という因果関係は、国際的にはとっくに前提として認識されている。
イギリスでは国旗侮辱は暴徒化の初動トリガー、韓国では対立デモの象徴破壊が衝突に直結、フランスでは国旗侮辱は「共和国に対する攻撃」、ドイツでは象徴毀損は「民主秩序破壊行為」と解釈されている。
つまり、「日章旗を燃やした事件が日本で多いかどうか?」は論点の中心ではない。本当の論点はこうだ。象徴破壊は、共同体の統合を揺るがす高い蓋然性があるかどうか。そしてそれは「ある」。岩屋の議論は、「国旗は共同体をつなぐ象徴である」という視点が最初から抜けている。だから彼の目には「問題がない」ように見えるだけだ。
言い換えるなら、日の丸を「自分の共同体の象徴」として認識していない人は、国旗損壊に「実害がない」ように感じる。ただ、それは「法的判断の結果」ではなく、立ち位置と感覚の問題だ。「国旗が燃えてないから法律はいらない」は、「家が燃えてないから消火器はいらない」と言っているのと同じ構造である。そして、そう言えるのは結局、自分にとってその家が「帰る家」でも「守りたい家」でもないからだ。
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■橋下徹(引用元:https://x.com/hashimoto_lo/status/1985500133828805077)
そもそも出だしから政治家の不正を糾弾する論点ずらしを使用しているところが小賢しいストローマン的論調だが、論点も穴だらけである。本当にこの人は元弁護士なのだろうか。
法益は、「共同体の象徴秩序」である。橋下はこれを「愛国心の強制」だと見ているのかもしれないが、法益はそうではない。
象徴が破壊されると、共同体のつながりの感覚が損なわれ、対立や敵対意識が増幅する。これは国際比較すると常識に近い。
外国国旗は外交関係の安定を守るために保護されている。つまり、すでに日本の刑法は「象徴は秩序に作用する」という前提で立法されている。今回の議論は、その射程を「対外」→「国内共同体」へ拡張するだけ。理屈は同じ。
ここは技術的な話に見えるが、実際は簡単。「公然性」「侮辱目的」を要件にすればいいだけ。すでに名誉毀損・器物損壊・侮辱罪で使っている手法。「プラカードとしての国旗」や「スポーツ応援の旗」が誤処罰される、というのは法技術ではなく「雑な想定」による不安。構成要件で回避できる話。
されない。すでに外国国旗損壊罪ですら公然性が要件。私人の家で破ってる旗まで取り締まる制度設計はそもそも立法技術的に想定されていない。「家の中でポスターを破ったら逮捕」はフィクションでしかない。
それは国旗損壊罪とは無関係。国旗利用のガイドラインは運用・行政・プロトコルの問題。仮に「政治家が国旗を利用したくなる」というのが懸念なら、それは政治倫理規定のほうで制御する話。つまり「スプーンに毒を盛るかもしれない」から「スプーンを廃止しよう」と言っているようなもの。
ここまで来ると、さすがに苦笑いである。「国家とは何か」論は、象徴を理解していないからこそ無限に抽象化する。けれど現実の共同体は抽象ではなく合意で維持されている。その合意を可視化するのが象徴。象徴を理解しないまま国家論を語るのは、地図を見ずに登山ルートを議論しているようなもの。まず「どこに立っているか」がわからなければ、そこから先は全部空中戦。橋下の6論点はどれも一見まともに見えるが、すべて「国旗は、共同体の統合を可視化する象徴である」という前提が抜けている。
この前提を共有しない限り、国旗損壊罪は「不要な規制」に見え続ける。つまり、結局この話はこういうことだ。
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■日弁連(引用元:https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2012/120601_2.html)
>同法案は、損壊対象の国旗を官公署に掲げられたものに限定していないため、国旗を商業広告やスポーツ応援に利用する行為、あるいは政府に抗議する表現方法として国旗を用いる行為なども処罰の対象に含まれかねず、表現の自由を侵害するおそれがある。
この「おそれ」という言葉に全てを預けて議論を閉じてしまうところに、まず問題がある。刑法は「おそれ」で動くわけではない。刑法は構成要件を満たしたときにのみ成立する。ここは法学部の1年生でも最初に叩き込まれる部分だ。それにもかかわらず、その最も基本的な前提をまるごと無視して話を進めているあたり、本当にこの文書は日弁連が出したものなのだろうかと不安になる。
国旗損壊罪が成立するのは、ただ「国旗に触れた」からではない。国旗を侮辱する意図をもって、公然と破壊した時だ。「わざとであること」と「侮辱という意思」が明確に必要になる。そのため、スポーツ応援で旗を振ることも、商業デザインに用いることも、抗議運動のシンボルとして掲げることも、そもそも構成要件に当たらない。日弁連は「使うこと」と「破壊して侮辱すること」を意図的に混同している。その混同を前提にしている限り、彼らの議論は最初から成り立っていない。
加えて、日弁連は「表現の自由が制限される」と言うが、表現の自由は憲法上、絶対無制限に保障されているわけではない。人格権を守るために名誉毀損があり、社会的尊厳を守るために侮辱罪があり、財産権を守るために器物損壊罪がある。どれも「表現」が関わる可能性があるが、社会を成立させるために必要な領域では当然に制限がかけられている。国旗損壊罪が保護しようとする「共同体の象徴秩序」も、それらと同じく社会をまとまりとして維持する機能を守るためのものだ。
では、「濫用されるおそれがある」という主張はどうか。これも、法制度の議論としてはあまりに雑だ。「濫用されるおそれがある」だけで法律が否定できるなら、名誉毀損も侮辱罪も、スパイ防止法も成立しないことになる。極端な話、殺人罪だって捜査側が恣意的に使える「おそれ」があると言えてしまう。法治国家は「おそれ」があるかどうかではなく、その「おそれ」が実際にどの場面で生じうるのか、そしてどのように構成要件と運用基準で防ぐかを議論する。「おそれがある」とだけ言って反対した時点で、日弁連は法律論を放棄している。
つまり、日弁連の声明は、法律家として最もしてはならない論理の進め方をしている。構成要件には触れず、使用と損壊を混同し、法益概念を押さえないまま、「自由が脅かされる」とだけ言って議論を止める。これは法的主張ではなく、立場ありきのスローガンだ。
国旗損壊罪は、国旗を使う人を処罰するものではない。共同体を侮辱する目的で、象徴を破壊する者のみを対象とする。日弁連が「表現の自由」を盾にして反対するのは、その前提を理解していないか、理解した上で意図的にぼかしているかのどちらかだ。
どれほど上品な言葉で包んだとしても、これはもはや法律家による議論ではない。法概念を手放したまま「自由」を振り回しているだけの、大声の政治声明にすぎない。弁護士バッジを捨てて、もう一度法学部からやり直してください。
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日本社会には、法や監視に頼らずに秩序が保たれる場面が多い。繁華街に防犯ゲートが少なくても、万引きは多発しない。大都市でも夜に一人で歩ける安全がある。災害時には略奪ではなく、長い列を作って順番を守る。落とした財布は高い確率で手元に戻る。公園や駅の公衆トイレでさえ、世界基準で見れば極めて清潔だ。
これらは偶然ではない。日本には、古くから「和を乱さないことを尊ぶ」という共通意識がある。相手を尊重し、自分だけが突出しないように場を調整し、争いを避けて合意をつくる生き方が長く受け継がれてきた。重要なのは、この意識が誰かが教えたからあるのではなく、自然に共有されていることである。目に見えない合意は、形がなければ確認しにくい。そこで必要となるのが、象徴である。
国旗は、国民が同じ共同体に属し、同じ空気の中で生き、同じ基盤を分かち合っていることを簡潔に示す印だ。日本人の精神性は、派手でも声高でもない。主張ではなく、ふるまいと習慣の中に現れる。その「共有されているもの」を一瞥で思い出させるのが日の丸である。
国旗は威圧のための道具ではなく「この社会は、この形で、ここにある」という確認の標だ。その確認があるからこそ、人々は互いを信頼し、余計な力を使わずに秩序が保たれる。日本の治安や清潔さは、「日本人は良い人だから」という単純な話ではない。共同体を保つための共有されたふるまいが、長く維持されてきた結果である。