はてなキーワード: 空中戦とは
「さぁ、いよいよ始まりました!今日の注目の一戦、ムササビのチャッピー対赤穂浪士の試合!両者ともに気合が入っています!」
「まずはムササビのチャッピー、飛び跳ねながらフィールドに登場!その身軽さ、まるで空を飛んでいるかのような動きです!あの小さな体から繰り出されるスピードは目を見張ります!」
「対するは赤穂浪士、リーダー格の大石内蔵助を筆頭に、忠義の心を持つ侍たちがずらりと並んでいます。彼らの姿勢、まさに戦の時を迎えた侍そのもの。周囲の雰囲気が一変、緊張感が漂っています!」
「試合開始の合図が鳴り、いきなりチャッピーが素早く地面を駆け抜ける!あの速さで、まるで風のようです!赤穂浪士たちがその動きに驚く暇もなく、チャッピーが一気にその周囲を跳び越え、真ん中の陣形を突破しようとしています!」
「しかし、大石内蔵助、冷静に指示を出します!浪士たちが集まって形成した防御陣。彼らはその身のこなしと剣術に自信を持っています。おっと、浪士の一人が刀を抜いて、チャッピーを迎え撃とうとしています!」
「チャッピー、今度は上空に飛び上がった!そのジャンプ力、まさにムササビのようです!攻撃をかいくぐりながら、高く舞い上がり、宙を舞っています!あの小さな体がここまでの空中戦を展開するとは、まさに驚きです!」
「だが、赤穂浪士、侍の誇りをかけて負けられません!大石内蔵助、冷静に指揮を取り、今度は逆転の一撃を狙っている模様。浪士たちが一斉に動き出した!」
「おっと、チャッピーがその隙をついて、再び高く飛び跳ね、空中から攻撃を仕掛けました!しかし、浪士たちがその動きに合わせて反応!大石内蔵助が前に出て、刀を振り下ろす!」
「今、接触の瞬間…あっと!チャッピーが空中で身をよじって、その攻撃を避けた!そして、再び高速で地面に降り立ち、別の方向に移動!」
「日本という共同体」そのものは目に見えない。触れないし、握れないし、形もない。でも私たちは、その「形のないもの」を前提にして、同じ道路を使い、同じルールで生きている。その目に見えない共同体をどうやって「そこにある」と確認してるのか?答えは単純で、象徴(シンボル)だ。国旗は、政治的な押しつけアイテムじゃなくて、私たちは同じ場所に立っているという共通認識のマーカーなのだ。
国旗を破って燃やして踏みつける行為は「私はこの国が嫌いです」という話ではなく、「この共同体を支える合意を破っていい」という宣言になりやすい。これは思想じゃなくて秩序の話。好き嫌いの話ではないし、心の中を強制しようとしているわけでもない。
「共同体をつなぎ止めてる目印に対して、どこまで攻撃を許すか」という、いたって地味で現実的な議題なのだ。
ここからが本題。代表的な反対意見(岩屋・橋下・日弁連)を見ると、どれもロジックがお粗末極まりなく、目も当てられなかった。法律の専門家(笑)が言うことかよ、というレベルだったので、あえて向こうの土俵で論破する。
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■岩屋毅(引用元:https://www.iza.ne.jp/article/20251104-KATPZGUBWFGNLBZXMVYLNT4XMA/)
>「当時、反対しました。なぜなら『立法事実』がないからです。立法事実とは、実際にそうした事例が社会問題になっているかということです。日本で誰かが日章旗を焼いた? そんなニュースを見たことがない。立法事実がないのに法律を作ることは、国民を過度に規制することにつながるので、それは必要ないのではないかと言いました」
一見もっともらしいが、この論法は立法事実という概念そのものを誤解している。立法事実というのは「すでに大量に事件が起きているかどうか」だけではない。とくに象徴や治安や社会秩序に関する立法では、「問題が顕在化してからでは遅い」という前提そのものが、法律の必要性を支えている。実際、現代の法律の多くは「予防的」に整備されている。
・・・本当に早大を出て閣僚を経験していてた人の理屈なのだろうか。国旗損壊罪が問題にするのは、「布が燃える現象」そのものではない。象徴が公然と破られることで、社会の緊張が増幅される・対立と敵対意識が活性化する・集団の統合が崩れる という作用のほうだ。この「象徴毀損→社会不安の増幅」という因果関係は、国際的にはとっくに前提として認識されている。
イギリスでは国旗侮辱は暴徒化の初動トリガー、韓国では対立デモの象徴破壊が衝突に直結、フランスでは国旗侮辱は「共和国に対する攻撃」、ドイツでは象徴毀損は「民主秩序破壊行為」と解釈されている。
つまり、「日章旗を燃やした事件が日本で多いかどうか?」は論点の中心ではない。本当の論点はこうだ。象徴破壊は、共同体の統合を揺るがす高い蓋然性があるかどうか。そしてそれは「ある」。岩屋の議論は、「国旗は共同体をつなぐ象徴である」という視点が最初から抜けている。だから彼の目には「問題がない」ように見えるだけだ。
言い換えるなら、日の丸を「自分の共同体の象徴」として認識していない人は、国旗損壊に「実害がない」ように感じる。ただ、それは「法的判断の結果」ではなく、立ち位置と感覚の問題だ。「国旗が燃えてないから法律はいらない」は、「家が燃えてないから消火器はいらない」と言っているのと同じ構造である。そして、そう言えるのは結局、自分にとってその家が「帰る家」でも「守りたい家」でもないからだ。
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■橋下徹(引用元:https://x.com/hashimoto_lo/status/1985500133828805077)
そもそも出だしから政治家の不正を糾弾する論点ずらしを使用しているところが小賢しいストローマン的論調だが、論点も穴だらけである。本当にこの人は元弁護士なのだろうか。
法益は、「共同体の象徴秩序」である。橋下はこれを「愛国心の強制」だと見ているのかもしれないが、法益はそうではない。
象徴が破壊されると、共同体のつながりの感覚が損なわれ、対立や敵対意識が増幅する。これは国際比較すると常識に近い。
外国国旗は外交関係の安定を守るために保護されている。つまり、すでに日本の刑法は「象徴は秩序に作用する」という前提で立法されている。今回の議論は、その射程を「対外」→「国内共同体」へ拡張するだけ。理屈は同じ。
ここは技術的な話に見えるが、実際は簡単。「公然性」「侮辱目的」を要件にすればいいだけ。すでに名誉毀損・器物損壊・侮辱罪で使っている手法。「プラカードとしての国旗」や「スポーツ応援の旗」が誤処罰される、というのは法技術ではなく「雑な想定」による不安。構成要件で回避できる話。
されない。すでに外国国旗損壊罪ですら公然性が要件。私人の家で破ってる旗まで取り締まる制度設計はそもそも立法技術的に想定されていない。「家の中でポスターを破ったら逮捕」はフィクションでしかない。
それは国旗損壊罪とは無関係。国旗利用のガイドラインは運用・行政・プロトコルの問題。仮に「政治家が国旗を利用したくなる」というのが懸念なら、それは政治倫理規定のほうで制御する話。つまり「スプーンに毒を盛るかもしれない」から「スプーンを廃止しよう」と言っているようなもの。
ここまで来ると、さすがに苦笑いである。「国家とは何か」論は、象徴を理解していないからこそ無限に抽象化する。けれど現実の共同体は抽象ではなく合意で維持されている。その合意を可視化するのが象徴。象徴を理解しないまま国家論を語るのは、地図を見ずに登山ルートを議論しているようなもの。まず「どこに立っているか」がわからなければ、そこから先は全部空中戦。橋下の6論点はどれも一見まともに見えるが、すべて「国旗は、共同体の統合を可視化する象徴である」という前提が抜けている。
この前提を共有しない限り、国旗損壊罪は「不要な規制」に見え続ける。つまり、結局この話はこういうことだ。
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■日弁連(引用元:https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2012/120601_2.html)
>同法案は、損壊対象の国旗を官公署に掲げられたものに限定していないため、国旗を商業広告やスポーツ応援に利用する行為、あるいは政府に抗議する表現方法として国旗を用いる行為なども処罰の対象に含まれかねず、表現の自由を侵害するおそれがある。
この「おそれ」という言葉に全てを預けて議論を閉じてしまうところに、まず問題がある。刑法は「おそれ」で動くわけではない。刑法は構成要件を満たしたときにのみ成立する。ここは法学部の1年生でも最初に叩き込まれる部分だ。それにもかかわらず、その最も基本的な前提をまるごと無視して話を進めているあたり、本当にこの文書は日弁連が出したものなのだろうかと不安になる。
国旗損壊罪が成立するのは、ただ「国旗に触れた」からではない。国旗を侮辱する意図をもって、公然と破壊した時だ。「わざとであること」と「侮辱という意思」が明確に必要になる。そのため、スポーツ応援で旗を振ることも、商業デザインに用いることも、抗議運動のシンボルとして掲げることも、そもそも構成要件に当たらない。日弁連は「使うこと」と「破壊して侮辱すること」を意図的に混同している。その混同を前提にしている限り、彼らの議論は最初から成り立っていない。
加えて、日弁連は「表現の自由が制限される」と言うが、表現の自由は憲法上、絶対無制限に保障されているわけではない。人格権を守るために名誉毀損があり、社会的尊厳を守るために侮辱罪があり、財産権を守るために器物損壊罪がある。どれも「表現」が関わる可能性があるが、社会を成立させるために必要な領域では当然に制限がかけられている。国旗損壊罪が保護しようとする「共同体の象徴秩序」も、それらと同じく社会をまとまりとして維持する機能を守るためのものだ。
では、「濫用されるおそれがある」という主張はどうか。これも、法制度の議論としてはあまりに雑だ。「濫用されるおそれがある」だけで法律が否定できるなら、名誉毀損も侮辱罪も、スパイ防止法も成立しないことになる。極端な話、殺人罪だって捜査側が恣意的に使える「おそれ」があると言えてしまう。法治国家は「おそれ」があるかどうかではなく、その「おそれ」が実際にどの場面で生じうるのか、そしてどのように構成要件と運用基準で防ぐかを議論する。「おそれがある」とだけ言って反対した時点で、日弁連は法律論を放棄している。
つまり、日弁連の声明は、法律家として最もしてはならない論理の進め方をしている。構成要件には触れず、使用と損壊を混同し、法益概念を押さえないまま、「自由が脅かされる」とだけ言って議論を止める。これは法的主張ではなく、立場ありきのスローガンだ。
国旗損壊罪は、国旗を使う人を処罰するものではない。共同体を侮辱する目的で、象徴を破壊する者のみを対象とする。日弁連が「表現の自由」を盾にして反対するのは、その前提を理解していないか、理解した上で意図的にぼかしているかのどちらかだ。
どれほど上品な言葉で包んだとしても、これはもはや法律家による議論ではない。法概念を手放したまま「自由」を振り回しているだけの、大声の政治声明にすぎない。弁護士バッジを捨てて、もう一度法学部からやり直してください。
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日本社会には、法や監視に頼らずに秩序が保たれる場面が多い。繁華街に防犯ゲートが少なくても、万引きは多発しない。大都市でも夜に一人で歩ける安全がある。災害時には略奪ではなく、長い列を作って順番を守る。落とした財布は高い確率で手元に戻る。公園や駅の公衆トイレでさえ、世界基準で見れば極めて清潔だ。
これらは偶然ではない。日本には、古くから「和を乱さないことを尊ぶ」という共通意識がある。相手を尊重し、自分だけが突出しないように場を調整し、争いを避けて合意をつくる生き方が長く受け継がれてきた。重要なのは、この意識が誰かが教えたからあるのではなく、自然に共有されていることである。目に見えない合意は、形がなければ確認しにくい。そこで必要となるのが、象徴である。
国旗は、国民が同じ共同体に属し、同じ空気の中で生き、同じ基盤を分かち合っていることを簡潔に示す印だ。日本人の精神性は、派手でも声高でもない。主張ではなく、ふるまいと習慣の中に現れる。その「共有されているもの」を一瞥で思い出させるのが日の丸である。
国旗は威圧のための道具ではなく「この社会は、この形で、ここにある」という確認の標だ。その確認があるからこそ、人々は互いを信頼し、余計な力を使わずに秩序が保たれる。日本の治安や清潔さは、「日本人は良い人だから」という単純な話ではない。共同体を保つための共有されたふるまいが、長く維持されてきた結果である。
自分が関わった案件で親会社が持ってる基幹システムをバックエンド、子会社が作るサブシステムをフロントエンドと親会社が呼んでて打ち合わせで大混乱をきたした事例があったわ
こっちはサブシステムのバックエンドの話をしてるのに親会社の言うバックエンド・フロントエンドと噛み合わず空中戦になって子会社の二次請けの弊社は宇宙猫状態だった
教えてくれ、お前たちは誰が総理になれば満足なんだ?
しょうがねー
答えてやる
そりゃ女だからといって、裏金容認・カルト宗教容認・同性婚反対・選択的夫婦別姓反対・自民党の極右の高市早苗を支持するフェミはそうそういないだろ。バカでもわかるぞ。
誰ってそりゃフェミニストの理念や主張に沿ってくれる人だろう。こういう事書く人はただフェミを当てこすりたいだけなので、どんなに高市不支持の理由を説明したところで理解もせず、同じ当てこすりを繰り返す。
「高市さんじゃだめだ、だから高市さんじゃ嫌だ」こんなにわかりやすい理屈も理解できない頭か? 高市がダメだけど女だからOK、ならわかるか? そうあってほしい願望と違うからと理解を拒むなよ。
男だって石破はダメだ、小泉は論外だと好き勝手色々言うでしょ。なんで女だってだけで納得&満足せにゃならんのだ。「女を総理にしてやったんだぞ有り難く思え」って無意識に考えてない?
寧ろ女性というだけで無条件に肯定し支持しろと言っている連中こそ、今後高市に女性のための施策を行うよう求め続ける義務がある。そうでなければただのアンフェの当てこすり、詭弁でしかないのでよく覚えておく
逆に聞きたいんだが、増田は男なら志位和夫が総理大臣でもいいんで?/高市は自分を「名誉男性」と思ってると思うんだよね。扇千景や今井絵理子が「マスコット」なのと対象の在り方なのよ。苦労が人を歪める典型…
「女を首相にするのがフェミニストの目的」と主張してるのほぼネトウヨしかいないんだが?「オタクは全員オタキングを崇拝してるんだろ。えっオタクなのに岡田斗司夫嫌いなのか?オタク詐称してるのか?」
高市の件に関しては普段から頭のおかしいアンフェたちが輪をかけて狂ってしまい意味不明なことを喚き散らしてて怖い。高市のなにがアンフェを狂わせるのか。
バカってかわいそう。
女なら誰でもいいというわけではない
高市が首相になったら、ことある毎にこういう小学生レベルの当てこすりが増えるんだろなー。少しは自分の頭で考えろよ。考えられないから馬鹿な増田を書いて恥晒してるのか
自分の国のトップ使って、嫌いなクラスタに嫌がらせしてるだけで、政治だかジェンダーだかを語ったつもりになるのって、すげー幼稚だな、という感想です。それ、お前の母ちゃんデベソ、と同じレベルですよ?
「気に入らない女」として用いられる言葉を平気で使う奴に答えてやる筋合いなどないだろう
界隈が嫌がるなら女性総理に大はしゃぎしてる人らは、あまりに幼稚すぎてSNSでもさすがに無視されてた。現実の困り事ない人たちは単純に幼くいられていいね。良くはないか。ああなるなら、不利でも女性でよかったよ。
アンチフェミの人は、男性である鳩山由紀夫が首相に返り咲いたら、寿いでくれるのだろうか?この増田の言うてるのは、そう言うことやで。
アンチフェミはこういう頭が悪いやつが多いということが可視化された… といっても、最近の地球では頭が悪いことを言うことを恥じる文化がなくなってきているからね。
この答えで納得したか?
用意するもの
・室内用毒エサ(家にすでにいる奴らを殺す。死体はそのうち蜘蛛が食う)
・屋外用毒エサ(地域に住んでる奴らを殺す)
・ハエたたき
やることは簡単です。
どちらもケチらずに。
マンションなら周囲の空き家やゴミ屋敷が人知れず飼ってるコロニーを丸ごと死地にすることを目標にやりましょう。
皆でちゃんと自分の家の害虫を殺すのではなく、皆の分も含めて全部俺たちで殺すのです。
設置箇所は陰になっている部分です。
本能的に暗闇を通って移動するのが安全だと知っているので、そこに餌を置いて拾い食いさせて殺します。
空を飛ぶ奴らは移動範囲も広いし毒餌も食わないのでムシコナーズとかで自分の家だけ守りましょう。
自動噴出式のものを使うのがオススメですが、効きが悪い気がする時のために手でプッシュするのも常備します。
ハエ叩きは原始的な道具とされていますが、火力リーチ後処理のすべてが高水準です。
常に手元に置きましょう。
緑の空飛ぶパクチーはガムテに包んでゴミ袋に入れ焼却場で殺すのがベストですが、普通に殺害してからティッシュや新聞紙に包んで握りつぶしてからビニール袋でも問題ないです。
地を這うクソどもには洗剤が最強です。
エンカウント時は洗剤をかけやすい空間への追い込みを意識します。
洗剤が直撃したときの討ち洩らしのなさは殺虫剤とは比較になりません。
人間で言えば矢に塗る毒が牛の糞からトリカブトになるようなものです。
空中戦をしかけられ、ハエ叩きを当てやすくない状況では殺虫剤を使いますが、このときのコツは出し惜しみしないことです。
下等な虫ケラと哺乳類の耐毒力は天地の差があるのですから、奴らを殺すまでに必要な量で我々に後遺症は残りません。
しかし国民民主党がそういう動きを取ったのは理解できなくはないというお話。
参政党が大躍進した2025年参院選。朝日新聞の記事によると国民民主党の支持者が参政党に流れたらしい。自身のXのタイムラインを見ていると国民民主から参政に鞍替えした人ってのは見当たらない。個人的には今回の参院選において国民民主党がやらかした一番大きな失策は須藤元気氏の擁立だと思っていて、5月に観測気球が上がった時から私自身も猛烈な反発を覚えた。この擁立によって医療・農業関係者の一部からそっぽをむかれ、結果として自民党に流れた票もあるだろう。しかし今回選挙活動を追いかけ、この擁立は理解できるところもあるなと思ったので増田に書いておこうと思う。
結論から言えば「国民民主党の広告塔になる議員を増やしたかった」のが目的だったのだろうと推察する。選挙活動を追っかけている人ならわかるが、知名度のある政治家の現地入りというのは選挙への効果がかなり大きい。国民民主党で言えば玉木代表、榛葉幹事長が現地入りするとかなりの数の聴衆が集まり票獲得につながる。今回の参院選では玉木氏、榛葉氏はそれはそれは全国を駆け回って各地の有権者へのPRを続けていた。誰かが「誰もが認める玉木雄一郎評は”体力おばけ”」と言っていたが、正直マジで常人離れしたスケジュールをこなしていたと思う。榛葉氏も同様に常人離れした遊説を繰り返していた。が、結局知名度を活かした数打つ遊説ができる議員はあの2人に偏ってしまっていた。2つのリソースをぶん回すには限界がある。代表や幹事長はメディアで政策論をぶつけながらの遊説であったので限界を超えた稼働率になっていたのは想像に難く無い。
須藤元気氏は知名度のある体力おばけである。どさ回りに強く、挨拶やビラ配りの能力が人外レベルに高い。一方で政策論が弱く、医療や農業の話では民間療法・農法を熱く語る人に騙されて間違った意見にハマっていく。こういう言い方は須藤元気氏に大変失礼ではあるが「政策を語れない玉木雄一郎」という評価が(少なくとも今時点では)当てはまると思っている。ただ、須藤氏は本当に素直で実直に活動することができるため、正しく学ぶ機会さえあれば国民民主党の強い力になったのは間違いないだろう。福田とおる代議士から説明を受け、話を聞き理解を示そうとした姿勢は嘘ではないと信じたい。
選挙の街頭演説はどうしても単語と名前を覚えてもらうのが主。正直なところ党代表や幹事長が労力を割くとコストパフォーマンスが悪く、できることなら他の人に任せておいて上層部はメディア戦略や討論で大きく網を張るべきである。地上戦では須藤元気氏が戦い、空中戦で代表・幹事長が戦うという体制が取れれば次の選挙、その次の選挙も盤石であったという目論見での擁立であったのではないだろうか。
という仮説が正しかった場合、責められるべきは党の擁立の説明が不足していたという点である。「我々は党の知名度を上げ、次の選挙を戦い抜くために須藤元気氏を擁立する」「国民民主党には医師もいる、農業に詳しい人もいる。これまで彼が語ってきた政策面の誤りは党として責任をもって指導し、一緒によい政治を目指していく」というようなことを重ね重ね有権者に語るべきだったのではないか(誓約書って何??)。国民民主党の支持者で須藤元気氏の擁立に納得いかなかった層もこの説明であれば飲み込めなくはなかったと思っている。擁立反対派の全員が肯定するとは言えないが。
そりゃ「須藤元気氏を玉木代表の代替として選挙戦のリソースとして使います」と言えば須藤氏は嫌だろうけど、これまでの負の言動を党の力で軽減する+公認候補とするという扱いのバーターとするならそこは飲んで貰うのが筋ではないだろうか。有権者への説明と須藤氏との協議がきちんとなされていれば国民民主党は更に勢力を伸ばし、この複雑怪奇になった与党政治のいいカンフル剤となったと思う。そのような未来にならなかったのが重ね重ね残念である。
事前のメディアの情勢調査でも、ある程度の躍進は予想されていた。だから「度肝を抜かれた」ってほどの驚きはない。ないんだが、いざ「14」という数字を突きつけられると、この国の問題の根深さを改めて見せつけられたようで、重苦しい気分になる。
そして、この結果は、ある男の失速と実に対照的だ。そう、石丸伸二。
一時期、あれだけSNSを席巻したじゃないか。安芸高田市のカリスマ市長として名を馳せ、その熱狂を引っ提げて都知事選に殴り込み、「再生の道」なる新党まで立ち上げた。あの時のSNSでのバズり方、既存政治への不満を吸い上げる手法は、参政党とそっくりだった。だから、多くの人が石丸ムーブメントと参政党を重ねて見ていたはずだ。「しょせんはネットの徒花だろう」と。
だが、現実はどうだ。
石丸伸二の「再生の道」は、都議選、そして今回の参院選で、見るも無惨な結果に終わった。あれほどの熱狂は、具体的な議席という果実にはならなかった。結局のところ、石丸伸二という強烈な「個」の魅力に依存したムーブメントは、選挙という組織戦の壁を越えられなかったわけだ。
では、なぜ参政党は勝てたのか。
答えは明白。彼らが石丸氏と違って、強固な「地方組織」という地上戦の基盤を持っていたからだ。
参政党は、SNSでの派手な空中戦の裏で、実に泥臭い活動を全国で続けていた。気づけば、全国の地方議会にじわじわと根を張り、その議員や候補者の周りに「党員」「サポーター」と呼ばれる熱心な信者を集めていた。そいつらがリアルな場で集会を開き、ビラを配り、地域コミュニティに食い込んでいたんだ。
ネットのバズは、いつか冷める。石丸伸二の失速がそれを証明した。しかし、リアルな人間関係で構築された地盤は、そう簡単には崩れない。むしろ、外部から「カルトだ」「陰謀論だ」と批判されればされるほど、彼らは被害者意識を共有し、結束を固めていく。
もちろん、参政党の主張の危うさは論を俟たない。いずれ必ず、大きなボロを出すだろう。
だが問題は、その時に信者たちが「目が覚めた」となるのではなく、「やはりメディアは敵だ」「真実を語る我々への弾圧だ」と、さらに信仰を深めてしまう可能性が高いことだ。その歪んだ理屈を、全国に張り巡らされた地方組織が、草の根レベルで拡散していく。
これは一過性のブームじゃない。もっと根深く、構造的な問題だ。14議席という結果を直視し、彼らの本当の厄介さ、つまりSNSとリアル組織のハイブリッドという本質と向き合うところから始めないと、本当に手遅れになるぞ。
れいわ新選組を旗揚げからずっと応援してる。山本太郎がたった一人で始めたときから、その心意気と政策の正しさを信じてきた。今でもその気持ちは変わらない。でも、今回の参院選、正直かなり厳しい戦いになると思ってる。
俺たちが支持するれいわは、ご存知の通り、バックに経団連もいなければ連合もいない。もちろん、どっかの宗教団体が組織的に票をくれるわけでもない。あるのは、山本太郎っていう圧倒的な個の力と、SNSで繋がった俺たちみたいな個人の集まりだけだ。
だから、戦い方は限られてくる。地道な街宣と、SNSを使った空中戦。いわゆるポピュリズムって言われる手法だ。既存メディアがまともに取り上げてくれない以上、そうやって熱を伝播させていくしかない。それはもう、重々承知の上だ。
問題は、その俺たちの主戦場であるSNSに、とんでもなく厄介で強力なライバルが登場してしまったことだ。そう、参政党だ。
彼らも俺たちと同じで、組織票に頼らない新興勢力。そして、SNSの使い方がめちゃくちゃうまい。動画や短いメッセージで、人々の不安や不満を煽り、熱狂的な支持者を増やしていく。手法だけ見れば、れいわとそっくりだ。
いや、むしろ彼らの方がえげつないかもしれない。れいわが既存メディアから「ポピュリズム」と批判されるなら、彼らは「超・ポピュリズム」とでも言うべきか。とにかく、SNSでの熱量の作り方、拡散のさせ方は、正直言って脅威だ。
これまで、れいわがネットで築いてきた「既存政党にウンザリしてる層」の受け皿というポジションが、彼らにどんどん侵食されてるように感じる。これはマジでヤバい。
「どっちもSNS頼りのポピュリズム政党じゃん」って言われると、本当に悔しい。なぜなら、中身が全くの別物だからだ。月とスッポン、ダイヤモンドとガラス玉くらい違う。
れいわが訴える「消費税廃止」や「積極財政」は、ちゃんとデータと経済理論に基づいている。失われた30年の原因がどこにあって、どうすれば国民の生活が豊かになるのか。ちゃんとロジックがある。感情論じゃない。山本太郎や大石あきこが国会でしてる質疑を見れば、そのへんの与党議員よりよっぽど勉強してるのは一目瞭然だ。
じゃあ、参政党は?彼らの主張の根っこにあるのは何だ?
「食の安全がー」「日本の伝統がー」「グローバリストの陰謀がー」
聞こえはいい。耳触りのいい言葉を並べて、漠然とした不安を煽る。でも、その根拠は?と聞くと、出てくるのは陰謀論と、科学的根拠の怪しい話ばかり。「ワクチンを打つと5Gに繋がる」なんて話を信じてる人たちが幹部にいる政党だぞ?正気か?
彼らの言う「オーガニック」や「食育」も、一見するとまともに聞こえる。でも、その裏には反化学、反医療の思想が透けて見える。不安を商売にして、おかしなサプリや商品を売ってきた人たちが片棒を担いでいる。冷静に見れば、ただのトンデモ集団だ。
でも、この違いって、普通の人にパッと見でわかるんだろうか。
政治にそこまで関心がない人から見たら、「今の政治じゃダメだ!日本を取り戻そう!」って叫んでる熱狂的な集団が2つあるようにしか見えないんじゃないか。
片方は、泥臭くデータと理論で武装した本物の市民政党。もう片方は、陰謀論とフワッとした雰囲気で塗り固められた、中身スカスカのハリボテ集団。この本質的な違いを、どれだけの人が見抜いてくれるのか。俺は、それが怖くて仕方ない。
絶望的な気分になる。でも、ここで諦めたら終わりだ。
俺たちにできることは、れいわの政策の正しさを、その根拠を、一人でも多くの人に伝え続けることだけだ。参政党のような偽物に、日本の未来をめちゃくちゃにされてたまるか。
雰囲気や熱狂に流されるな。ちゃんと「中身」を見ろ。どっちが本気で国民の生活を考えているのか、どっちがデタラメを言ってるのか。自分の頭で考えて判断してくれ。
そうじゃないと、俺たちの生活は、この国は、本当に取り返しのつかないことになる。
「バランスが大事」とか言い出すのって、一見まともなこと言ってるようで、実はけっこうな思考停止なんじゃないの?誰がどこでどんな負担を背負わされるのかをガン無視して、「全体のバランスが〜」って語られても、それってただの空中戦でしょ。結果として格差が広がって、社会の土台がボロボロになれば、最後にツケを払わされるのは自分なんだよ。
目の前の得ばっかり追いかけて、長い目で見た損に気づかないって、それこそ「バランス」悪くない?税率が上がるか下がるかとか、見えてる数字だけで一喜一憂してるけど、本当に見るべきなのはその裏で何が起きてるかでしょ。
なのにその「バランス」って、どう見ても目先の話しかしてなくて、先の見通しとか構造の話はすっぽり抜け落ちてる。結局、本人が一番バランス感覚なさそうなの、皮肉すぎるでしょ。
バサロキックと空中元彌チョップが戦う状況を想像してみましょう。それぞれの特徴を考えると、以下のような分析ができます。
水中での機動力: 水中という特殊な環境下での推進力を生み出す技術です。スピードと持久力に優れていますが、陸上や空中ではその力を発揮できません。
攻撃範囲の限定: 主に下半身を使った蹴り技であり、直接的な打撃というよりは、水流を利用した撹乱や体勢を崩す動きが主体となります。
空中でのパフォーマンス: 空中で静止し、独特のフォームから繰り出される手刀による打撃です。見た目のインパクトは大きいですが、実際の破壊力や攻撃範囲は不明な点が多いです(競技としての有効性は低いと考えられます)。
体勢の不安定さ: 空中で静止するため、体勢が不安定であり、相手からの攻撃に対して非常に脆弱です。
この二つの「技」が直接対決する場合、戦う場所と状況設定が非常に重要になります。
明らかにバサロキックが圧倒的に有利です。空中元彌チョップは水中で体勢を維持することすら困難であり、バサロキックの機動力の前には為す術もないでしょう。
バサロキックは推進力を生み出すことができず、有効な攻撃手段とは言えません。一方、空中元彌チョップは空中で静止できるという特異な能力を発揮できるかもしれませんが、移動能力や防御能力が皆無に等しいため、反撃を受けることなく一方的に敗北する可能性が高いです。
空中元彌チョップは、その名の通り空中での動きですが、静止しているだけであり、攻撃力や防御力は未知数です。バサロキックは水中での技術であり、空中では全く機能しません。この場合、どちらも有効な攻撃手段を持たないため、決着がつかないか、先に体勢を崩した方が負けとなるでしょう。
真剣に勝敗を考えると、戦う場所によって勝者が大きく変わります。
陸上であれば、状況次第ですが、空中元彌チョップは一方的に攻撃を受ける可能性が高く、バサロキックも有効な攻撃手段がないため、引き分けか、空中元彌チョップの不戦敗に近い形になるかもしれません。