はてなキーワード: PTSDとは
言いたいことがないわけじゃないが気骨は感じた。62点。
3から20年ぶりの新作ということで他作品シリーズの傾向と同じく過去シリーズでもっとも人気のあった作品のスピリットを継承した作品、つまり2の正統続編と俺は感じた。世界に対しての「告発」と「ド派手アクション」である。2で活躍したコンパウンドボウも使うしね。
散々語り尽くされたことだと思うけどとにかくアクションがド派手になっている。これは火薬マシマシ麺固めという意味ではなく、とにかく人体破壊描写を二郎系の野菜のように盛りまくっているのである。またぬるいハリウッド映画のように「子供は殺されない」なんてこともなく、むしろ露悪的に、村の子供にミャンマー政府軍が銃剣を突き刺す描写まで克明に描かれている。
「これが戦場なんだ」そして「これは現実に起きていることですよ」ということを世界に告発したいという強い意志を感じた。
最後の戦いのランボーが機関銃を掃射してミャンマー軍兵士の身体が爆散したり腕や足がもげたり頭がふっ飛ばされたりするシーンも中々に壮観だ。痛みを感じる戦場を撮りたいという気骨と見せ場として盛り上げたい気持ちをうまく同居させたシーンになってると思う。
あと1,2ぶりに山の中をランボーが全力疾走するシーンがあってファンサやなぁとにっこりしてしまった。
身体は、まぁ、ステロイドで膨らませた身体は戻せないよねって感じ。しゃーない。
今作のストーリーとしては
タイで雑務をこなしながら隠居生活を送っているランボーの元にミャンマー政府によって迫害を受けている少数民族のためのボランティアをしている教会系の団体が訪れ、現地への舟渡の仕事を頼まれる。最初は断るもブロンド美女に頼まれてころっと方針を変えなんだかんだありながらも現地へ彼らを送り届け帰宅。その後、彼らはしっかり彼らは捕らえられる。彼らを救いたい教会の依頼を受け教会が雇った傭兵と共に再び現地に赴き頑張って彼らを救出し、帰省するのであった。
まず全然関係ないんだけど、3もそうだったけどなんでランボーはタイを隠遁の地に選んだんだろう。ベトナム帰還兵でベトナム戦争のPTSDに悩まされているのに、よりにもよって住民ほとんどベトナム人みたいな顔してるタイを定住の地に選ぶ感覚よくわかんねぇなと思った。
俺がブルックリンを歩いてたら黒人にケツ掘られてそれがPTSDになったとして、世を逃れてコンゴに移住しようとは思わんもん。差別的な例ですまない。本当に反省している。
今作が1のスピリットも継いでいるところは主にこの教会系ボランティア団体の扱いにある。
彼らは無邪気に「支援」が迫害を受けている少数民族を救うと考えており、非暴力を主張する。そして舟渡中に彼らに襲い掛かった盗賊を始末したランボーを人殺しだと責め立てる。これは1で帰還兵ランボーを空港で「赤ん坊殺し!」などと責めた民衆を投影しているのは明らかだと思う。
それに対してランボーは「平和ボケどもが!」と怒りを示す。スタローンの本音だろう。しかし特に口煩かったハゲは最終的に仲間の傭兵を助けるために最もフィジカルで、最もプリミティブで、そして最もフェティッシュなやり方――落ちてた岩で敵兵を撲殺するという行為に及ぶ。
言わんとしてることはわかるんだけど、それでも彼らは非暴力的な形、医療や教育で少数民族を間違いなく救っていたわけで、確かにそれは根本解決にはならないかもしれないけれど、露悪的に「誰かを助けるために手を汚せよ」と示さずに彼らの思想をもうちょっと尊重してやってもよかった気はする。
誰もが「迫害から人々を救うために必要なのは支援じゃなくて兵力だ!敵をぶっ殺せば全部解決するんや!」って思想になっちゃったら世界めちゃくちゃになっちゃうよ。
よくわからんかったんはこの教会団にネームドとしてハゲとブロンド美女がいるんだけど、ランボーはハゲにはなんかやたら反発するんだけどブロンド美女にはやたら優しい。彼女のほうが人に寄り添う姿勢を持ってるとは思うんだけど言ってる思想はたいして変わらんし、見てる側からすると「こいつ女に甘いだけでは?」と思ってしまう。
ハゲの依頼は断わるけど夜に美女と話したら途端に船を出すとなるし、盗賊撃退後にやっぱ危険だから帰れというランボーの手をそっと握って「行きましょう」と美女が言うと「しゃーないなぁ」みたいな感じでやっぱり現地に向かう。たぶん、ランボーを現地に向かわせる強い原動力を思いつかんかったんだろうな。
お前ほどの美女が言うなら!ってなっちゃうのは男の心理だからね、わかるよ。でもさァ↑だったらブロンド美女じゃなくてベトナム系アジア系美女だろ!彼女を見て2で死んだ情報員を思い出して……のほうがドラマティックだろがい!
最終的に大惨劇の後に美女はハゲに抱き着いて愛してると告げ、ハゲと美女ができていたことが分かりランボーはそれを見つめ「なんかもう家に帰ろうかな」となるのでもしかしたらランボーがガチで美女に惚れちゃってただけかもしれない。
この作品の最後にランボーは実家に帰省するんだけどこれも個人的にはよくわかんなくて、ちょっと書いたけどそもそもなんでランボーがタイに隠遁してたかがよくわかんないんだけど、まぁベトナム戦争の英雄として帰ってきたらなんかそんな感じじゃなくて気まずくて家に帰れなかったのかもしれないけど、じゃあ今回の映画でそのもやが晴れるような展開があったかっていうと俺はそれをあんま感じられなかった。
2で捕虜を救い、3で(結果的に)アフガニスタン国民を救った。今回の少数民族を救ったことが過去の2例とは違うという必然性が薄く感じた。まぁ機関銃で敵吹き飛ばしまくってスッキリしたのかな。だったら3の後でも帰れるやろがい!3の最後にも「俺の戦争は終わりました」言ってたしさ!
あと、今作になってやっぱ気になったのは「ベトナム戦争のPTSD」って「ベトナム人に拷問された」ことなんだなって。「ベトナム人を大量に殺害したこと」じゃなかったんやなって。まぁ戦争ってそういうもんやからって言われたらそうかもしれんけどさ。今作では過去最高にもう本当にぐっちゃぐちゃにミャンマー兵をミンチにして虐殺するんだけど、ハゲも美女もあんなもん見たら一生のトラウマになるよ。そして保安官にいびられて山中を駆け巡りガソリンスタンドを爆破しちゃうよ。
でもランボーはなんかちょっとすっきりした表情で実家への帰省を決意する。「人を惨殺する」ということに対してのなんらかの意識がもうないんやなって。平和ボケした日本在住のバカヤロウは思ってしまいましたよ。
ただ、2や3に比べたら伝えたいことと作品の対応性が高いし、言いたいことを伝えるために映画を撮りました!そのために方法もちゃんと考えました!って感じが強く出てて個人的には好きな部類に入る映画だった。
大阪地検の元トップ・北川健太郎被告が部下の女性検事に性的暴行を加えた罪で起訴された裁判は、初公判から1年が経過しても第2回公判が開かれていません。被告は初公判で起訴事実を認めたものの、その後無罪を主張。非公開の「期日間整理手続」が約10回行われたものの、被害者には詳細が伝えられず、不安が募っています。被害者はPTSDを患い休職中で、精神的被害も訴えていますが、検察側の対応は不透明。専門家は情報公開の必要性を指摘し、裁判の停滞が検察の信頼を損なうと警鐘を鳴らしています。
大阪地検は終わり
11/17の夕刻に3つのポストからなる「強姦未遂事件」告発がX上でなされる(現在は削除)。
スクリーンショットを投稿している人もいるので現在でも確認可能だが、概ね下記のような内容であった。
数年前森脇透青氏に強姦未遂に遭い、それ以降頻繁にフラッシュバックに悩まされPTSDになっている。
この間本人から真摯な謝罪はなく、昨日もフラッシュバックに襲われ、ひとりで抱え込み精神的に限界であるためここに投稿することとした。
このような内容であった。この投稿は万単位のインプレッションとなった。
森脇透青氏と仕事上のつながりのあるゲンロン代表の上田洋子氏はこれを受け、11/17夕刻に下記のようにポスト(以下全て投稿はX上のもの)。
森脇透青氏に対して七草繭子氏が訴えている件、いまリポストした投稿で知りました。森脇氏には『ゲンロンy』の編集委員をお願いしており、事実であれば弊社としても看過できません。情報の把握に努めます。
https://x.com/yuvmsk/status/1990334468079640623
その後、七草氏は当事者の森脇氏より対面で謝罪する意思のある旨連絡があったとポスト。
投稿した責任として書くと、彼は今から直接こちらに会いに来て謝罪をしたい、と連絡が来ました。後のことは、わからないです。
https://x.com/LUVNA_LEVI/status/1990345913320214537
その晩に当事者間での対面でのやりとりが実際に行われたようで、森脇氏はこの間Xになにも投稿していなかったが、11/18の2:45に下記の「和解のご報告」ポストがなされる。
七草繭子( @LUVNA_LEVI )氏の私に対する告発について、お騒がせしています。
七草氏とは直接お会いして、謝罪の上和解いたしました(七草氏のツイートはすでに削除済)
https://x.com/satodex/status/1990476383911621074
当該のツイートは消しました。お互いの過去の記憶を曖昧ながらに擦り合わせ、意見と感情を交換し合い、納得のいく謝罪と今後の対応を約束してくれました。起きてしまったことはどうしようもないことですが、今後森脇氏とは自身の傷が癒える方向に向かう為、お互いに良い方向へ進むことを望みます。
https://x.com/LUVNA_LEVI/status/1990477195442336254
これらを受けたかたちで、ゲンロン代表の上田氏も下記のポストをして一件落着となったようである。
森脇氏から納得のいく謝罪があったとの投稿がされていた。コミュニケーションによってわだかまりが減ったならよかった。
https://x.com/yuvmsk/status/1990490622759969053
性被害告発がこのように数時間のうちにあっさりと「和解」をみたことについて、X上ではがんりん氏や小山氏などにより疑問が示され、いくらか騒ぎになっている。
この顛末についていろいろな論点が設定できると思うが、核心部は「不同意性交未遂罪」という刑事事件が実際にあったのかどうかである。
これは森脇氏の「和解のご報告」で画像として貼られたテキストを文字通り読めば、「朝までホテルで過ごすことになり、森脇は当然セックスできると思ったが七草が同意しなかったのでセックスはしなかった。それと時を同じくして森脇が"物音"を立てた。七草はその物音に脅迫の意図を読み取り、それが以後数年にわたる強姦未遂に遭ったという信念の根拠になっていたが、このたびその"物音"はアルコール摂取に起因する身振りのコントロール不能による偶然であって、決して"やれない"ことにキレて物にあたったわけではない旨、双方合意をみた」とのことなので、単純に「レイプ未遂はなかった」というのが当事者の回答である。
そうすると森脇氏は虚偽告発の被害者ということになるが、「当該ポストは削除されたし、自分も傷つけちゃったからお互い様だよ」で当事者間の決着をみたというならまあいいのかもしれない。こういったデリケートな話題では、司法介入ばかりが正解でもないという考えも当然あるだろう。
とはいえ、お騒がせカップルの「強姦未遂」告発騒動としてこれで終わるにせよ、ここに登場した七草氏と上田氏はかなりのダメージを負うだろう。
まず、森脇氏はほぼ無傷である。渡部直己セクハラ事件の記憶もあるなか、同様の事案に発展しそうなところ数時間のうちに直談判で「和解」に持ち込んだことで評価を上げるかもしれない。
前提として、SNSでの性被害告発という手法は血の歴史を背負っている。
性加害を受けた女性の多くが、組織内での告発など穏当な手段においても「痴話げんかの延長」などと相手にされず、挙句警察にも軽視され苦しみを深めたという歴史があり、そこから Start by believing といった、まずは被害者の言い分を信じ、寄り添うという支援方針が生まれた。その支援を一瞬にして広範に得ようという手段が「SNSでの告発」である。一方でこの支援の理念は「草津町性被害でっちあげ事件」により大きな逆風にさらされてもいる。このような微妙な状況の中で、七草氏は「強姦未遂」のほか、フラバ、PTSDなど重大なワードをちりばめて告発を行った。やむにやまれぬ事情があったと考えるべきだろうが、意外にも加害者当人とあっさりと面会し、わずか数時間のうちに「和解」に至ってしまった。
構図としては、この重大なアテンション手法を森脇氏を呼び出すためだけに使ったことになり、SNSでの告発の重大性を低下させてしまった。さらに、「所詮は痴話げんか」という信念を強化し、また、「草津」以後の逆風の中でも真摯に支援しようとした人のはしごを外す形にもなっただろう。
今回の「和解」はそのような汚名を七草氏に負わせる効果を持つし、またある晩「フラッシュバック」に襲われ、やはりあれは紛れもなく「強姦未遂」だった、と再度考えを変えたところで、もう信じてくれる人はいないかもしれない。人文界隈での仕事もやりにくくなるだろう。本当にそれでいいのかと問いたいくらいである。
また、上田氏も、上述のような問題点のある幕引きについてより踏み込んだ見解を示さない限りは、性被害告発について「看過できない」としておいて、当事者同士の直談判による解決をあっさり受け入れたことで、このような話題を取り扱う資質について信用を失うだろう。
1→2とバルクアップしていた肉体はついに天元を突破し過去最高にバキバキにバルクアップしている。首がゴン太になり常にロイドレイジを発症しているのか顔つきも非常に攻撃的に変化。その結果、彼は悲哀を背負うベトナム帰還兵から筋肉と火薬で敵を虐殺する殺人マシーンへと進化した。
この肉体をもって「強さに説得力がある」とする向きもあるけどボディメイク畑の人間としては「ステロイドで膨らませた機能性の低い筋肉」、俺はその向きには反対だが巷でよく言われる「使えない筋肉」にしか見えない。1のスタローンのほうがよっぽど"ガチ"の兵士感があった。
アーーーーーーーーーーーノルド・シュワルツェネガー(中山きんに君)ともはや何も変わらない。別にシュワちゃんも好きだけどさ。でもそうじゃないからランボーはランボーだったんじゃん?
こうしてスタローンがパワーフォームに変化することでランボーのアイデンティティを捨ててしまったように、映画もパワーフォームに変化することでランボーのアイデンティティを捨ててしまっている。
1では国のためとベトナムで戦いPTSDを負って帰ってきたら国内でも軽んじられ疎まれ蔑まれるベトナム帰還兵とアメリカという国との戦いがメインテーマとして描かれ。
2でもいちおう、いちおうすれは引き継がれ、国のために戦い捕えられるも国の冷徹な損得で見捨てられそうになるベトナムのアメリカ兵捕虜を助け、見捨てようとする国との戦いが描かれていた。
が、今作ではそういったベトナム帰還兵ランボーのアイデンティティはほぼ霧散している。
彼は友人のトラウトマンが戦地でソ連兵に捕えられたことをきっかけに彼を救出するために戦地へ赴く。その過程でソ連に侵攻されていたアフガニスタンゲリラの奮起を促し結果的にアフガニスタン(の一部)を救うことになるんだけど、そもそもトラウトマンは最初、それをランボーに頼みに来てたのにランボーはそれを断ってるのね。
しゃーなし、トラウトマンはランボー抜きでアフガニスタンに赴き捕えられてしまう。
つまりランボーにとっては友人>>>ソ連に侵攻されて困ってる国だったって展開になっているから、現地民との触れ合いのシーンも、途中で登場する「ベトナムで我々が負けたみたいに、その国を愛するゲリラがいる国は征服できない」みたいに彼らを鼓舞するランボーを見ても「でも、お前見捨てようとしてたしなぁ」としか思えない。
ちなみにこの映画が公開される前にソ連はアフガニスタンから撤退。ランボーとトラウトマンが支援したアフガニスタンゲリラはタリバンへと進化し彼らを倒すために今度はアメリカがアフガニスタンを侵攻するのであった。
まぁ、これはランボー3の責任じゃないけど皮肉な話だな。これを映画化しろ。
出てくる敵がカカシなのは2と一緒なので割愛。今回は「冷徹で頭が切れる奴だ」というカンバンが敵の大将には追加されてちょっとは歯ごたえが増してたからまだ2よりはボス感があってマシだったかな。最後の戦車とヘリの正面衝突を選ぶ展開でこいつが本当に頭が切れる奴だったのかは疑問が残ったけど。
救出シークエンスもまぁいまとなってはテンプレートだし特に語るべきところはなかった。脱出時にトラウトマンが一緒に戦うのは過去シリーズを見てきてた身からしたらファンサとして多少良かった。
アクションは俺の中では2よりも悪くなってた。火薬も人数も増えてるし規模は上がってるはずなのに編集のせいなのか妙に安っぽくペラペラの映像になっててもしかして予算だいぶ減ったんかな?って感じてしまうくらいだった。
最後のランボーwithアフガニスタンゲリラVSソ連軍のパートはゲリラの騎馬隊は動物倫理感の低い時代特有の迫力があってよかったけど、ランボーが戦うパートはやっぱペラペラ。画面が明るすぎるのがよくないのかわからんけど、2000年代とかの中国の戦争ドラマみたいなハリボテ感がすごかった。
ハリボテ感で言えば今作では妙にヘリが飛んでるだけのシーンが出てくるんだけどこれも作りモノ感がすごくて、これミニチュア飛ばしてる?って思っちゃった。まぁ、あんだけ撮ってるってことはホンモノなんだろうけど。
とにかく編集をケチったのか画面の映画っぽさが後退していたのが、特に大規模アクションパートの影響が顕著だったなって感じ。
映画としてのテーマ性も退化してアクションも退化してる。点が上がるわけないよね。
このアクションすごいなぁ!っていうのがせめてもっといっぱいあればランボーであるという点を忘れさえすれば楽しめる一作として別点つけられたのにそれもほとんどない。まぁ、頑張ってお馬さんいっぱい走らせて撮ったのかな。+4点。
駄作だと思う。
親知らずが痛い。
親知らずは何故とんでもない生え方をしてくるのだ。
大抵の人間がとんでもない生え方してくると言うのに、なぜ引っこ抜くための設備があらゆる歯科に存在しないのか。
大きな病院に行ってね〜!じゃないんだわ。
昔医者のミスで無麻酔で神経引っこ抜かれかけたことがあるので、多分ちゃんとPTSD的なサムシングになっている。
昔は(と言っても成人済でだが)歯医者を予約して、ドアに手をかけるまで入ったのにその瞬間吐きかけて帰るくらいには、無理だった。
のを!何とか歯医者に行って定期的に治療を受けて今までのツケという名の大量の虫歯を治療してもらってるだけ、偉いと思う、偉くないですか!?毎回ゲェゲェいいながら通ってる。
翌日気分悪すぎて仕事行けなくなる時すらあるのに、えらい、自分、とてもえらい!
そこに現れる親知らず4連撃、全員反骨精神が高く訳の分からぬ生え方をしている猛者たちらしい。
頼むから全身麻酔とかしてぬいて欲しいが、全身麻酔って基本保険対応してないんだね。そんな。
金ないよ。
たすけて……たすけて……親知らず抜いたことある人、抜いたら楽になりましたか、激痛です、助けて、寝れません。どうしたらいい?痛すぎて寝れずにもうすぐ深夜3時。ああああああああああああ
最近、「嫌われる勇気」とか読んで「アドラーに救われた!」って顔してる奴、やたら増えたけどさ。
でも冷静に考えてほしい。
アドラー心理学って、アドラー自身が辛い過去から逃げたくて作った理論を、もっと深刻なトラウマを抱えた他人に押し付けてるだけじゃないか?
「これはあなたの課題ですよね(ニチャア」とか言って、平気で他人を拒絶する。
自分の課題(劣等感からの逃避)を「心理学」という権威で包んで、患者全員に押し付けた。
あれで救われてるつもりなら、相当ヤバい。
なんであんな自己責任論と権力者に都合が良すぎる理論が流行ってるのか、冷静に考えるとおかしいだろ。
まず、アドラー本人の背景を知っておくべき。
自分の辛い過去を「存在しない」と否定し、強すぎた劣等感を「成長の源」と無理やりポジティブ変換する。師匠と決別した過去を消すために、「過去は関係ない」という理論を作った。
つまり、自分の痛みから逃げるために作った理論なんじゃないか?
そしてそれを、心理学者という権威を使って、もっと苦しんでいる患者に押し付けた。
アドラー「トラウマは存在しない。本人の"意味付け"の問題だ」
→いや、PTSDって知ってるか? トラウマを受けると、脳の扁桃体が過活動して海馬が萎縮する。
これ、脳の物理的な変化だ。「意味付け」とかいう精神論で説明できるわけがない。
でも、そのために必要なエネルギーはどれくらいか考えたことあるか?
これら全部が必要だ。
「意味付けを変えれば解決する」って、核融合炉を作ればエネルギー問題は解決するって言ってるのと同じだ。
人間に学習能力がある時点で、過去が現在に影響するのは当たり前だろ。
アドラー理論って、「トラウマで苦しい」と訴える人に対して「それはあなたが認めたくないだけ」って言うんだろ。
「トラウマは存在しない!」と頑なに言い張るアドラー自身こそ、
「あなたが辛い過去(兄への劣等感とか)を認めたくないだけでは?」
見事なブーメランだ。
「課題の分離」と言いながら、やってることは壮絶なダブルスタンダード。
アドラー信者「上司の家庭問題は上司本人の課題。私には関係ない」
→「それはあなたの課題ですよね?」という魔法の言葉で、他人のSOSや社会的な相互扶助を拒絶する。
上司が不安定 → 判断ミス → プロジェクト失敗 → 顧客に迷惑 → 部下(自分)が謝罪 → 契約解除 → 部下(自分)の評価も下がる。
でも、「チームが円滑に回るように配慮する」という共同体の課題から逃げているのは自分自身だ。
「俺は俺の課題しかやらない(=共同体の課題は引き受けたくない)」という自分の課題(ワガママ)を、他人に押し付けてるだけ。
他人を「課題の分離」で拒絶しておきながら、自分は共同体の課題から逃げる。
最悪のダブスタだろ。
アドラー理論は「不健全な共依存から解放されろ」と言うけど、特に日本社会では:
「課題の分離」を実践した瞬間、社会から弾かれるリスクがある。
アドラー理論って結局、西洋的個人主義が前提なんだ。「自立した個人が対等に協力する」という理想は美しいけど、相互依存型社会では「それができる人」は限られている。
それを無視して「あなたの勇気が足りない」と言うのは、あまりにも残酷だ。
1. 自分の課題:劣等感、兄への嫉妬、フロイトとの決裂という辛い過去から逃げたい
2. その解決策:「トラウマは存在しない」「過去は関係ない」という理論を作る
3. そして:その理論を「心理学」という権威で包装して、トラウマに苦しむ他者全員に押し付けた
自分のトラウマ否定(=自分の課題)を「心理学」という理論にでっち上げて、他人に押し付けている。
それ、盛大に課題の分離できてないだろ。
これは学問的に不誠実だし、倫理的に有害だし、弱者への抑圧そのものだ。
「トラウマなんてない、気合い(意味付け)で変われ」なんて、現実逃避そのものだ。
組織の問題に向き合いたくない人(経営者とか)にとって、こんなに都合の良い理論はない。
「自分が楽になりたい」は誰にでもある。
でも、それを学問という権威で包んで、苦しんでいる他者に強要するのは、暴力だ。
えっじゃあ世の中のみんなはどうやってPTSDを克服してるの?
娘がいじめられたと主張しているのは餃子屋店主で暇空茜の強烈な信者(今は喧嘩別れ)で知られる宇佐美典也だ
宇佐美はcolabo編で「NPOは潰すべき」と主張し、堀口編に入ってからも暇空を信仰し続け、堀口いじめに加担していた
堀口は海外の大学に通う小生意気なインテリ大学生で、おっさんたちの加害欲求を駆り立てる存在だ
宇佐美は堀口いじめを「エンタメ」として称賛し5000円のスパチャを送っていた
そんな彼だが娘(次女)がいじめられていると主張しながらいじめ問題を扱うNPOの立ち上げを宣言し、いじめ問題が文春にも取り上げられた
港区も児童を扱った初のいじめ事案として委員を開き調査報告書を公開した
https://www.city.minato.tokyo.jp/shidoushuji/tyousahoukokusyo.html
港区の主張だけでなく、宇佐美側の主張を見ても、「これ、いじめか?」と疑問
・娘が相手に砂をかけられたと言っている←砂をかけられればすぐにわかるが宇佐美も含めて誰も砂まみれの姿を見ておらず事実確認できず
・娘が相手と遊びたいと言っても相手が他の子と遊ぶのを優先して遊んでくれず娘が泣いた←誰と遊ぶか決める自由はあるだろ
・相手が持ち物を「可愛いでしょ」と見せつけて、娘に同じ物を買えない劣った存在だと思わせた←園によれば確かにそういうことはしていたが、娘だけではなくみんなに対してやってた。4歳児の行動として問題とは捉えていなかった
・娘が工作の時間に紙細工をつくったら、「可愛い」と相手が取り上げて娘が泣いた←確かにそういうことはしていたが、職員がすぐに取り返してあげて、やっちゃだめだよと相手に指導した
・娘はいじめが原因で保育園から幼稚園に転園したが、その5ヶ月後に相手も娘を追って転園←その保育園と幼稚園は提携しており交流会を開いているので年齢に応じて転園は自然なこと、相手は「娘と仲良し」と思っていたので娘がいるから志望した部分もある
・「他の保護者が、相手が娘を殴っているところを見た」←その保護者に確認を取ると、「叩くフリ」のポーズをして遊んでいたが、その保護者は「子供にはよくあること」としか受け止めていなかった
・娘が他の子と遊んでいたのに、相手が「一緒に踊ろう」と言ってきてとても嫌だった←その現場は目撃されていないが、相手は踊るのが好きで踊ろうと他の子に呼びかけることがあった。それいじめか?
・相手は縄跳びが得意でその子にしかできない技があり、娘がやり方を教えてと言ったが教えてくれなかった。他の子には教えてたのに←別に断ってもよくね?
全体的に「いじめか???」としか思わないが、それで娘はPTSDになって5歳にして睡眠薬が必要になり、宇佐美の妻も心痛で鬱病になって毎日嘔吐してるってよ
https://bunshun.jp/articles/-/82997
https://bunshun.jp/articles/-/82998
https://bunshun.jp/articles/-/82999
ある時、宇佐美が発表会を見に行き長女を膝に乗せていると、何故か相手の姉も宇佐美の膝に乗ってきた
宇佐美が嫌がっても「言うこと聞きなさーい」と言って宇佐美の膝に居続けて、結局そのまま座っていた
「大人に対して命令するのか」と宇佐美はショックを受けたそうだ
こんなもん、この子が親によく「言うこと聞きなさい」って言われてる子で、そんで父親以外の成人男性にも警戒心なく甘えてくるぐらいガキなんだなってエピソードでしかないのだが
宇佐美は強烈な嫌悪感を抱き、その子の親が中国人であること、妹が次女と同じ保育園に通っていることを知り、嫌悪をつのらせているようだった
日本語は通じるのですが、今までは味わったことのない感覚を覚えました。周囲の目をまったく気にしないというか、自分たちの都合を中心に考えて、それを当然とするような雰囲気なんです
宇佐美が一家に嫌悪を感じだしてからしばらくして、娘の絵から鮮やかさが消えさみしくなっていき「いじめられているのでは」と宇佐美は感じだしたという
いやーそれさ、家庭の外の問題じゃなくて家庭内の、宇佐美の変化がダイレクトに娘に影響してるやつじゃない??
宇佐美は「いじめ」についての相談のために何度か保育園を訪れ、ある時娘が相手の子を遊びに誘ったが断れて立ち尽くしている現場を見てショックを受け、翌日から娘を登園させなくなった
娘はその後幼稚園に転園したが、数カ月後に相手の子も転園してくるとの噂が出て、宇佐美がそれを伝えると「不安状態に陥った」「夜泣きとおねしょが再発」
それは本当に相手の子が怖かったのか?宇佐美がどう伝えたんだ?娘は「お父さんが不機嫌になること」が怖かったんじゃないのか?
再び宇佐美は娘を登園させなくなったが、幼稚園に通えなくなってから娘はむしろ悪化
「耳が聞こえない、物が二重に見える」と心身の不調を訴えるようになった
・・・・・・幼稚園行かなくなって悪化してるのは本当に相手のせいか?
相手が中国人だから不機嫌になる父、4歳児同士のありふれたやりとりを騒ぎ立てる父、友達と会わせない父、そこらへんが原因じゃないか
娘は「自分はロボット」「ロボットのお父さんとお母さん」「ロボットの友だち」など架空の話を盛んにするようになり、宇佐美は相手にいじめられた心の傷で娘が壊れたと考えている
友達に会えなくさせられてずっとイライラしてる親父にビクビクしてて母親も鬱病になったら、架空の父母と友達ぐらい求めるわな
ずっと病んでいた娘だが、幼稚園が娘と相手の子のクラスを分けて近づけないようにすると約束したので宇佐美が登園再開させたら、娘は見る見る元気になった
それを宇佐美は相手の子に怯えずにすんだからだと解釈しているが、そうかな?
港区の調査報告書では、「相手を娘と近づけさせるなと言ったのに、近づいてる」との宇佐美の怒りのコメントがあるが、園側は「気をつけていたが、娘の方から相手に近寄ることがあった」と述べる
宇佐美が中国人にヘイト溜まってるだけで、娘はそうでもなかったんじゃないかな
他の子ができない縄跳びの技が使えて、複数の子が一緒に遊びたがって断られたら泣いちゃうほどで、可愛いものいっぱい持ってる子・・・・・幼児の間の人気者なんじゃないのか、相手の子
宇佐美がいじめ問題について騒いだ当初、港区議の新藤加菜がノリノリで関わっていたが、報告書が上がってからトーンダウンし、プライバシーに関わる問題なのでもうこの件には触れないと逃げた
いじめを裁く正義のヒーローとしてバズったりいじめNPO利権で儲けるには使えないと判断したのだろう
宇佐美からの抗議を受け続けていた幼稚園の先生は途中で急病になって休職に入った
たまたまかもしれないが・・・・・大人が体調崩すほど怖い怒り方するおっさんがいたとして、それを目の当たりにする幼児の心が壊れるのは当然だよね、一般論として
宇佐美は東大卒暇アノンだけど、東大卒暇アノンといえば音無ほむらって奴がいて、そいつ当初は妻子持ちだったけど暇アノン活動してるうちに妻が子供連れて逃げちゃって今は孤独な生活を送っている
ネットで加害活動に血道をあげていいのは独身だけだよ、家庭持ってるやつはネットだけに留まれず次第に家庭内の態度にも滲み出して捨てられるぞ
7年前、東京。地下かどこかの喫茶店で、デザイナーのHさんと打ち合わせをした。
自分が企画した仮設の公園シリーズのデザイン制作物を依頼する場だった。
まだ若くてバカだった当時の自分は、「A3サイズで世界を変えよう」と笑いながら真剣に言ったのを覚えている。鼻息でストローの袋を吹き飛ばした気がする。
その後に作ったA3のフライヤーは、原稿の渡し方もイメージの共有もめちゃくちゃで、散々迷惑をかけた気しかしない…。でもHさんは最高の納品物をつくってくれた。
それからあちこちでHさんのデザインを目にするたびに(先日も実家近くの本屋で見かけた)、あの狭い喫茶店で口にした言葉を思い出す。
Hさんはあれから、マジでA3サイズで世界を少しずつ変えてってると思う。
「どうして“哲学対話”という名前を使うんですか?難しそうだとか、参加に身構える人もいるかもしれないのに」と尋ねた。
Nさんはいろいろ考えた末に、「なんか…ムカつくんすよね」と言った。
哲学と、対話という言葉の意味を新しく上書きするために、あえてこの名前を使うんだって話してくれた。
今の自分は、どうだろう。
「ムカつく」という言葉を聞いて、久しくその感覚を忘れていたかもしれないと気付いた。
どうせ何も変わらないと思って、絶望してたんだと気付く。ぜつぼうって、Zから始まる強い響きの言葉だけど、耳がキンとするほど静かで、うっすら気付きながら置き去りにして、気付けばゆっくり死んでいるような絶望もある。
思い出すと自分も「A3で世界を変えよう」と言ったあの頃、世界に対してムカついてた。
少し前、自分は臨時職員だった。アートと教育に関わる仕事。給料は月13万円。
でも求められる仕事の内容は変わらない。自分が足りないから倍以上頑張るしかないんだ。
「アーティストやクリエイターとつながっておくのが大事だ」と教わりつつも、飲み会に行くのが怖かった。行ってもバカにされるだけ、雑にいじられて否定されて、3000円払っていやな思いをするだけだと思ったから。
それでも「今日は違うかもしれない、大丈夫かもしれない」と信じてみる。
先にコンビニでおにぎりとホットスナックと缶ビールを胃に詰め込み、遅れて飲み会に顔を出す。結果「やっぱりカタパンはダメだな〜」と何かのきっかけでバカにされ、ヘラヘラしながら5000円払わされ、真っ暗な帰り道で涙がつっとこぼれそうになる。今思えばもっと自己開示すべきだったのかなって思う。でもあの時の自分は、自分を守るのに必死だった。
同じ部署の臨時職員同士で競わせられ、蹴落とし合う日々。毎日どんどん嫌な自分になる。
それは素晴らしいことで、自分は今日も帰れない。自分は常に欠けていて、仕事ができないからしょうがないんだ。自分も子どもを育ててみたいという気持ちをこんな手取りじゃ絶対無理だとグッと押し殺し、上司に嫌な感情を向けてしまう心に嫌気がさす。
「カタパンの説明は下手すぎる」「カタパンは才能がない」「カタパンは惜しいんだよな」「タレ(当時付き合っていた彼女)と結婚してさっさと仕事やめたら?」「カタパンのタレはメンヘラだよな」「それ俺が考えたことにして。そっちのほうが絶対うまくいくから」「カタパンが考えることは全て、もうすでに俺が考え終わったことだよ」「カタパンは、ソーシャル・ネットワーク(映画)の、ザッカーバーグじゃない方なんだよ。自分が考えたことも上司がうまいところを持っていく。そういうのってこの業界じゃ当たり前だから。」「カタパンはエモいからな〜」「カタパンは伸びしろがない」「泣くのはプロじゃないよ」「カタパンもう◯歳でしょ?いい加減大人になってほしいよね」
大学1年生のころ、そのアートセンターでやっていたノイズミュージックのライブを初めて聞いて衝撃を受けた。
退屈してて何もないと思っていた、都市ってつけるのがおこがましいくらいの地方都市で、爆音の圧に内臓が揺れる。初めて音に殺されるって思った。
こんなこと公共施設がやっていいんだ。そのアートセンターで働くことに憧れた。
そこには市民の有償ボランティア制度、サポートスタッフがあった。入りたいと思った。
でも1年生でサポートスタッフになっても、きっと自分は他の人に埋もれてしまうと思い、いろんなアルバイトを経験した。
3年生になって、ようやく少し自信を持って、サポートスタッフに登録する。
“カタパン”は、サポートスタッフを始めた初日、教育普及の職員に付けられたあだ名。
理由は、肩パンしても大丈夫そうなキャラだから。嫌なあだ名だったけど、あだ名を付けてもらえたことに喜んで、自分は否定しなかった。
ようやく入った憧れの施設では、地元の人やサポートスタッフを蛮人と呼んでる人もいた。
もちろん冗談で。冗談なんだから否定するのは粋じゃない。自分は一緒に笑った。
自分も笑われているのに。
どんなに嫌なことがあってもそのアートセンターに憧れたあの時の気持ちは捨てられないし、どこかで全員尊敬できたし、すごく優しい人もいる。
周りの誰も憎めずに、自分を責め続けた。心配してくれた人の言葉を、自分は大丈夫ですよとヘラヘラ聞き流した。
周りを変えることよりも自分を責めることの方が楽で、でもずるくて、いざ失敗したら周りのせいにしてた自分もいる。この文章だってそうかもしれない。
自分は自分のそういうところがめっちゃ嫌い。だからこの文章をここに書き残しておく。
ダサいことも、痛いことも、全部置いておく。
今は常勤職員になってしばらく経ち、生活も少し安定するようになった。チームが変わり、すごくいい仲間に恵まれて、痛みを感じることを言われることも少なくなった。安心できる場所をつくることが出来た。年下の後輩も入ってきて、それまでリーダーをやってくれてた同僚が抜けることになった。
常勤職員から、副専門職員になる試験を受けたら、普通に面接で落ちた。
付き合いの長い上司から、あなたに専門性はないですって諦められたみたいで悲しかった。
たしかに自分はまたヘラヘラして、自分の言いたいことを伝えられなかった。
伝えることを諦めてしまった。そんな自分が悔しくて、その夜電気を全部消して泣いた。
今の自分は、どうだろう。
昨日『104歳、哲代さんのひとり暮らし』という映画の感想を語り合う場所を開いた。これは一昨年の暮れから、だいたい毎月4回くらいやっている。休憩がてら立ち寄った人たちとお茶やジュース(ミルクティーが人気)を飲みながら、映画の印象に残った場面を話すうちに、みんなそれぞれ自分の過去をぽつりぽつりと思い出して語り始めたりする。昨日も15人くらい来てくれた。
コロナ禍の入院で、本当は会いたかった人を病院の窓から見送った話。
離れて暮らす娘の早産を電話で励ますことしかできず、悔しかった話。
祖母が隔離病棟で亡くなる直前、看護師がつないでくれたLINEビデオで声をかけたけど、触れられなかった話。
「哲代さんは明るくてすごい。私は後悔ばかりだ」と84歳の参加者が漏らすと、別の人が「いまからでもイメチェンできる!84歳、あと20年ある!」と励まして笑い合う。
飲み物を継ぎに別のグループへ。「職員さんですか?」と聞かれたので簡単に自己紹介し、「楽しく働いています」と答えると、一人の女性が「…仕事はつらいですよ。人生はつらいですよ。」と自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
彼女は三人の子どもを育てるために、大好きだった介護の仕事を諦めたそうだ。
「介護の仕事は給料が低くて、今はレジ打ちなんかをしています。でも、本当は働きたい」そう言うと、彼女の目から涙があふれた。
彼女にとっての“働く”は介護であり、レジ打ちはやらなきゃ立ち行かなくなる”仕事”。
彼女は泣きながら、どんな場面を、人を、思い出していたんだろう。
そのタオルがすごく大きくて「いっぱい泣けるね」とふざけて笑い合う。
尊敬する館長がしばらく前に亡くなった。
自分は、館長の本棚にあった「公共の役割とはなにか」という本をもらった。
館長から出された宿題みたいに、その問いのことをずっと考えている。
まだ宿題の途中だけど、今館長に聞かれたら、
公共文化施設とは、みんなで人間らしさを取り戻す場所って答えたいと思う。
人生は一人で抱えるには重すぎる。いつか自分の足で立つためには、みんなで少しずつ荷を下ろし、身軽になる必要もある。何かを得るだけでなく、重くなった気持ちも置いていける場所。そういう場所が、自分はあってほしい。
それは捨てていくんじゃなくて、きっと誰かが聞いている。
誰かが誰かを覚えていると信じられるから、新しい自分になっても安心して息が吸える。
小学生がうちの施設に社会見学に来たら「メディア・テクノロジーは人にものごとを伝えるワザ。コンピューターやインターネット、映像、照明、音響とかいろんなものがある。そう聞くと、電源が必要とか、新しくてシュッとしてるとか、固くて冷たいものを想像するかもしれないけど、いまみんなに話しているこの言葉だってメディア・テクノロジーのひとつ。僕らはつい最新のテクノロジーに注目しがちだけど、僕らが生まれるずっと前は、この”言葉”だって最新のテクノロジーで、思ってることを人に伝えられるのやべ〜!ってなってたはず。もし言葉が喋れなかったとしても指差しをしたり、狼煙を上げてここにマンモスがいるぞー!って伝えてた。でも当たり前に使えていると思ってるものも、使い方を間違えると怪我したりする。
このアートセンターでは、メディア・テクノロジーを改めて広く捉え直して、ありたい未来や可能性(こんな使い方出来たんだとか、こんなふうに伝えられるんだとか、こうなるとヤバそうとか)をみんなで考えて、みんなでつくっていくために、全員まだ答えを持ってない新しいアート作品をつくったり、紹介したり、それをみんなで見る場、話す場を開いてる」って伝えてる。ともにつくり、ともに学ぶ場なんだって。
例えば映画の上映に合わせておこなうお茶会みたいなイベントは、小さな場所の小さな営みで、”オリジナル”みたいに威張れることはしていない。たまたま映画を見に来た鑑賞者同士が、なんとなく休憩しに立ち寄って、お互いの話を聞きあえる場を開いているだけ。でも、そこに来る一人ひとりは、とても大きな人生を背負っている。
昨日立ち寄ってくれた年配の2人組。
少し背の低い女性が「耳がほとんど聞こえなくなった主人が、この映画は見たいって言ったんです。だから字幕がなくても今日は来ました」と穏やかな声で教えてくれた。
これを見たいと思うことと、一緒に見る人がいるのめっちゃいいですねと伝える。そしたら突然その人がパートナーの耳元に向かって、自分がさっき言ったことを大きな声で復唱してくれる。(この人、こんな大きな声が出るのか)と内心びっくりする。
男性は嬉しそうに「そうなんですよ」と言って笑った。言葉があってくれて、でっかい声で伝えようとしてくれて、ここに来てくれて、聞いてくれて、ほんとによかった。
その場を見ようともしない人ほど「効率が悪い」とか「KPI」とか「来てない人を納得させないと」とか「ソーシャルインパクトが大事」とか「経営的な戦略が必要」とかって、ティーチ(一方的に教える)よりラーニング(自分で学ぶ)が大事と言う同じ口で、一方的に教えてくれる。
いや、なんかそうなんかもしれんけど、うっせ〜〜〜。
簡単に人をモノのように扱える人ほど評価される世界は絶対間違ってる。
世界を変えるって、トランプみたいに自分勝手に世界を掻き回すことじゃ絶対にない。
世界を変えるって、ひとりひとりが自分の力を思い出して、取り戻すことじゃないんかい。
この前ポッドキャストの収録で話したひるねちゃんは「手元をみよう 手元をみよう」と、祈るみたいに2回言った。
「人の心に反射したその光こそが作品。作品が光ってるって言うより、あなたの心に反射したものが光ってるんだよ。エネルギーを飲み込まないで発散できる自分でいたいな」と言いながら、最後の語尾は震えてた。
心が諦めてしまうと簡単に、ブラックホールとかベンタブラック(99.9%の黒)みたいに、どんな光も吸収してしまう。
収録が終わってしばらく経ったある日ふと、本当に信じてることは信じてるなんて言わないのに、信じたいって思うことほど信じてるって口に出して言うのは不思議だなと思った。
言葉に日光を浴びせるように外気にさらすことで、いつかほんとに信じられるものに変わるかもしれないから、僕らは信じたいことを口に出すのかもしれない。
先週も大学を訪ねたら「アートは自分には縁がないもの」と学生が匿名チャットで教えてくれた。おい、誰がアートをその子に縁がないものにしてしまったんだ。関係ないものなんて、本当はなに一つないはずなのに。おい、誰がそんなふうにしてしまったんだ。
でも自分もアートに関わる仕事をしててそう感じさせたうちの一人でもあるかもしれないからそれはごめん!もう一度やり直したいからチャンスがほしい。そんな悲しいこと言わないでよ、寂しいじゃんって思う。
あームカつくな。ムカつくし、ムカつくという感情を思い出せたのが嬉しいな。
ムカつくの前には悲しいな、とか寂しいな、があるな。ムカつくのにも、悲しいなとか寂しいなを反射させる力が必要なんだな。
自分は小さな空間で、人が変わるまぶしい瞬間を何回も目にしてきた。
たしかに自分の文章はまだまだ分かりづらくて、曇った鏡みたいなものかもしれないけど、本当はもっともーーーーーっとすごい。まじ伝えきれね〜〜〜〜って思う。
それでも自分も、反射できる自分でいたいと思うからこの文章を書き残しておく。
昨日の朝、映画を見る前、教育学部の授業に自分が働くアートセンターの紹介をしに行った。
朝一の貴重な40分をもらって全力でプレゼンしたあと、先生がブラインドトークのワークショップに参加させてくれた。
10人が3チーム、絵を見て言葉で伝えるチームと、その説明を聞いて絵を書くチーム、そのやり取りを観察するチームに分かれる。
5分間で出来上がった絵は、答えに近い人もいれば、まあまあ遠い人もいる。
その後のフィードバックの時間は、こう説明すれば良かった、こう質問すれば良かったなどの意見を交わす。
右から1/3の位置に〇〇があるみたいに数字を入れて伝えるとか、全体の雰囲気やテイスト(イラストなのか写実的なのかなど)を伝えてから具体的な描写を伝えるとか、一番大事なこと(なにを伝えたい絵なのか)に絞って伝えるとか、いろんなアイデアが出た。
どれもすごい大切だって思ったと同時に、自分はなんかもう、最強だな〜〜〜って思った。
最強って、いまめっちゃ強いとか、いまめっちゃ説明が上手とかじゃなくて、変われるってことだと思った。伝えようとしてる人がいて、聞こうとしてる人がいる。もうそれで十分じゃん。言葉が足りなきゃ付け足したら良いし、分かんなかったら聞けば良い、言い直したらいい。
ほんとは完璧なコミュニケーションなんてなくて、伝えたいとか聞きたいとか、それを諦めずに関わろうとし続ける限り、うちらはもっと強くなれる。もしかしてそれを教育と呼ぶのでは?!みたいなことに気づいて驚きながら言った。
みんないい姿勢で、まっすぐ聞いてくれた。おい、まぶしいな。ありがとう。
先生にお礼のメールを送る。あの子達が4年生になるのが楽しみですねって伝えた。ここには書かないけど、嬉しい返信が返ってきた。また会いたいな。学生も先生も全員サポスタに登録して欲しい。
同僚のNさんとサポスタ募集の打ち合わせしたら「うちらがやってることは、誰に見せても恥ずかしくないから本当はターゲットなんてない。ターゲットは全人類、死んでるやつも、これから生まれてくるやつも。ひとまず50億人全員サポスタに登録してもらおう。」って話してて爆笑しながら超グッと来た。絶対そうなった方がいいしやっぱ最高だなこの人って思った。
トランプも、ゼレンスキーも、オバマも、プーチンも、ネタニヤフも、オードリー・タンも、石破茂も、議員会館の地下で迷子になってる秘書も、海を渡ってきた難民も、夜勤明けでレジを打つコンビニ店員も、介護の夜勤でウトウトしてる人も、野良猫を拾ったけどなかなか懐かなくてすこし懐いてくれて安心したら実は腎臓病が進行してて休日は暴れる猫を連れて動物病院に通う新入社員も、推しのVtuberにスパチャしすぎて家計簿が真っ赤な人も、好きな人と一緒になれなくて家で一人で泣いている遠距離恋愛のカップルも、育休取りたくても言い出せない課長も、同性婚を夢見るカップルも、初めてステージに立つ前に鼓動が早くなってるドラァグクイーンも、卒論提出3時間前の大学5年生も、家の外に出る勇気が湧かないひきこもりも、声を出すと噛んじゃう吃音持ちも、白杖を持った視覚障がいランナーも、手話でコントをやる芸人も、補聴器の電池を切らしたおばあちゃんも、手足のないスケボー少年も、車いすで山道を攻める登山家も、PTSDに苦しむ帰還兵も、大学の講義室で聞いてない学生に向けて伝えることを諦めようとしてる教授も、モテることとサボることと遊ぶことと就活で頭がグチャグチャだったあの頃の自分みたいな大学3年生も、収容所で自由を夢見る政治犯も、その看守も、裁判で涙を流す加害者も、被害者も、サウナで “ととのい” を追い求める会社役員も、離島で保育士を探す町長も、推し色ジャージでライブに並ぶ中学生も、バイト代を全部ガチャに突っ込んだのに天井まで SSRが来ない高校生も、フィリピンのごみ山でタガログ語ラップを刻む子どもも、アマゾン流域で川と話すシャーマンも、北極で氷が割れる音を聴く魚も、火星着陸の夢を抱く在野の<
反出生主義ではない。
むしろ、子どもを望む人が幸せに育てられる社会であってほしいと願っている。
それでも、「この人だけは子どもを持ったらまずいだろう」と思ってしまう人が、現実にいる。
⸻
「発達障害では?」と疑い、診断がつかないと「グレー」と決めつけて嫌悪。
そして離婚。
新しい恋人と同棲し、「理性があるから子どもは作らない」と言いながら
ピルをやめることに癇癪を起こす。
勤怠不良で退職し、「クビにされた」と周囲に吹聴。
そして数か月後、
→ まもなく妊娠報告。
……え? 妊活、するの?
⸻
誰かを“育てる側”に回ってしまうと、
不幸が連鎖していくのを何度も見てきた。
「子どもを持たないほうがいい」という言葉は、差別のように聞こえるかもしれない。
⸻
自己啓発に走っては壊れ、
本当は、そうやって自分を保とうとしているのかもしれない。
⸻
誰かを責めたいわけではない。
ただ、こういう連鎖を止める仕組みが、今の日本にはなさすぎると思う。
支援が途切れた人が親になっても、
⸻
冷たさじゃなく、
“もう誰もこれ以上傷ついてほしくない”という願いでもある。
盗撮、痴漢、児童への性加害といった事件が、もはや日常的にニュースで報じられている。にもかかわらず、刑罰は軽く、再犯率も高い。社会が「性犯罪は軽い過ち」程度に扱っている現状は、被害者の尊厳を踏みにじる構造そのものだと思う。
たとえば、刑法176条の「強制わいせつ罪」は、6月以上10年以下の懲役と定められている。
しかし、実際の量刑は初犯なら執行猶予がつくことも多く、被害者が受けた精神的苦痛に対してあまりに不釣り合いだ。
また、盗撮や痴漢といった「迷惑防止条例違反」扱いの犯罪では、罰金数十万円や数日〜数か月の懲役で済む場合もある。
これは「運が悪かっただけ」と言い訳する余地を残す量刑であり、犯罪の重大性をまったく反映していない。
性犯罪の特徴は、被害者の身体だけでなく「心」を長期的に蝕む点にある。
被害者は、事件後も社会的な羞恥、自己否定、PTSDに苦しみ続ける。
一方で、加害者は数か月〜数年で社会に戻り、再犯を繰り返すケースも少なくない。
この非対称性を放置している時点で、司法が被害者の側に立っていないと言わざるを得ないと思う。
欧米諸国では、同様の犯罪に対して日本よりはるかに厳しい刑罰が科されている。
たとえばアメリカでは、児童への性的接触は州によっては20年以上の禁錮、あるいは終身刑に相当する場合もある。
再犯防止の観点からGPSによる行動制限や、性犯罪者登録制度なども導入されている。
日本ではようやく「性犯罪者情報登録制度」の検討が始まった段階だが、実施までにはなお多くの抵抗がある。
性犯罪に「更生」を優先する思想が根強いこと自体が問題だと思う。
もちろん、更生の機会を否定するつもりはない。
だが、被害者の人生を踏みにじった加害者が、あまりにも容易く社会復帰できる現状には、明らかな不均衡がある。
刑罰は社会が許容できる「線引き」の表現である以上、被害者が納得できるだけの重みを持つべきだ。
それがなければ、司法への信頼も失われる。
その結果、「どこまでが犯罪か」「何が被害か」を理解しないまま大人になる人が多い。
もはや教育だけでは間に合わない段階に来ていると思う。
『レイプ未遂されたと思ったら父がそいつに殺されたので被害者で報復しにいく』
というような内容のオペラを観に行った。
内容を知らないで観に行った。
開始10分しないうちに レイプ未遂されたと思ったら父がそいつに殺された の状況になった。
レイプ犯に捨てられてメンヘラになった女、庶民の新婚カップル(レイプ犯が次のターゲットにしようとしていて巻き込まれている)
2幕構成だったのだが、盛り上がりまくってる1幕でまとめたほうがいい気がする…という気持ちになった。
曲があるから短くできないよね。そうよね。
おもしろいくらいレイプ犯に魅力がなかった。ドンジョバンニっていうやつなんだけど。題名にもなってるんだけどさ。
こういう作品って、少しは作品の題名にする男は魅力あるようにするんじゃないんですか?ミュージカルとか映画、日本の伝統芸能系だって、増田は覚えていないが源氏にもいいとこあったんじゃないか?顔とかさ…。
子孫が今いる説
なるほど、膝を打つ部分もある
Y染色体は男から男にしか遺伝せずX染色体よりはるかに小さい情報量しかないから、XXより劣るXYが増えて今ココ日本なわけですね
実際、東大出官僚で自分を頭がいいと思ってる男と話して頭がいいと思ったことがない
スイスから東大院にきた20代男性とインド工科大学を出て日本へインターンにきた20代男性と話したとき
恐ろしく頭がいい、会話が通じる、人文系も理解できる、自分の考えを伝わるよう説明できる!これが知性!と驚いた
映画8番出口に津波描写があるのに事前の注意喚起がされてないって炎上してるのをみた。
最初は「そのとおり!こういう事はちゃんと先に言っとけ!」と思っていたけど、よくよく考えると、なんで津波だけそこまで配慮が求められるのか分からなかった。
もちろん震災で辛い経験をした沢山の人たちへの配慮が必要なのは百も承知。自分も東北の人間なので痛いほど分かる。
でも津波だけ配慮すべき?他にもトラウマ級の出来事って世の中にめちゃくちゃあるよ。
戦争、火災、地震、水害、交通事故、殺人、強姦……。他にもたくさん。
たとえば、交通事故で家族や大切な人を失ったことがある人は津波を経験した人よりも多くいるはずだけど、「この作品には交通事故描写があります」なんて事前警告は見たことがない。交通事故描写ではPTSDを発症しないってこと?
それとも交通事故はこの世にありふれすぎているものだから配慮のしようがないってこと?
だとしたら津波は、ありふれた出来事じゃないのに経験した人が多いから配慮されるべきなんかな?
その辺のさじ加減ってどうなってるんだろう??わからなすぎる。
誰か頭の良い人、教えて〜〜。
かつてネットは「バカと暇人のもの」と言われたが、もはや単なる暇潰しには使えなくなっている。
バカと変態とクズの濃度が上がり、バカでも変態でもクズでもないユーザーには楽しめないコンテンツを強要されがちだからだ。
暇人は芸能ニュースに興味は持っても、しつこく一挙手一投足にケチをつけて回るような執念は楽しめない。
暇人は軽いエロコンテンツには興味を引かれても、どんなところにものべつまくなしに現れるエロ広告には食傷してしまう。
かつて「バカと暇人のもの」と言われたネットは、もはやバカと変態とクズのみが楽しめる自傷的精神病棟になり下がり、気楽に暇を潰せる場ではなくなってしまった。
規制のないネットは国家的PTSDを悪化させ、戦争もしていないのに人心を荒廃させる負のインフラになっている。
我々はすでに次の戦中を生きているのだ。
前任のブッシュ政権からイラク戦争を引き継いだり、ビンラディン殺害の特殊作戦を継続したことはあっても、新規に戦争を始めたわけではないような。
前政権の後始末をしただけであって。
唯一難しい点があるとしたら、イスラム国(ISIS/ISIL)を国とするかどうか。
あんなのただのテロリストだろうとするなら、イスラム国の拡大を止めるための空爆は戦争ではない。
いやいや、イスラム国は過激思想のテロリストの集合体とはいえ、国と名乗っているから国だろうとみると、戦争になるのかもしれんけど。
日本政府はイスラム国を国としては承認していないので前者のあんなのは国ではなくただのテロリストな気がするけど。
なので、"オバマとかバイデンに騙された貧困層は、軍隊でカタワPTSDになった後、手厚い精神医療を受けて戦地に戻ってるんだが"というのは、かなり飛躍している気がする。
そりゃ引き継いだイラク戦争で負傷した兵士がいたのかもしれんけど、それは前任者が始めた戦争を引き継いだ結果であり、
理論が飛躍しすぎているような。
あれは本人の自覚あるなし関係なく国家神道という宗教の信者で、「天皇家は尊ぶべき、男系の血統こそ神聖」って経典に従う信仰なんだし、そりゃ宗教だから議論しても平行線だろって納得できる。
ただのキリスト教の敬虔な信者に聖書内の時系列や系図の矛盾とか進化論や天文学との論理的整合性を執拗に問いただしたり、「聖書に皮膚病の者を追放せよとか父が娘を奴隷に売ってもよいとか書いてるけどお前らなんでそのあたりは都合よく見てみぬふりすんの?」とかひろゆきみたいに追求しても仕方ないのと同じでさ。
彼らがアラーを信じてないみたいに、俺も国家神道も皇室の神話も全く信じてないし、
シーヤ派とスンニ派が諍ってる理由が異教徒とか無宗教の人間から見たらめっっちゃどうでもいいことにこだわってんだなーって思うみたいにどうでもいいことにこだわってんなーってしか思えんけど、
「まあ、人に押し付けない範囲で素敵な信仰ライフを楽しんでくれや」って感じ。
リベラルのベースの考え方って「男に生まれたから、とか女に生まれたから、みたいに生まれや性別で人間の選択肢が縛られるのはおかしい」じゃん?
で、男系限定は女性差別だからアウトだ!って言いたいんだろうけど、え?そもそも皇族に生まれた時点で特定の性別に生まれるどころじゃなく人生のあらゆる選択の自由が制限されちゃうけどそれはいいの?って
小学校の先生にもプログラマーにもお笑い芸人にもバンドマンにもなれないし、ちょっと家庭が複雑な異性と交際しただけでマスコミに一挙手一投足報じられて右翼にPTSD発症するくらいボコボコに誹謗中傷される。
んで、「生まれた時点でこんな何もかもが制限されてるのおかしくね?」って自分から言ったら憲法違反。
そこはスルーして「女性にも王冠を!」って叫ぶの、どう考えてもズレてない?
「男性黒人奴隷が多いから東南アジア女性の奴隷をいっぱい輸入して男女、人種比率を均等にして多様性アップ!」って言ってるくらいなんかブレてない?
仮に女系で女性の天皇が誕生したとして、じゃあその天皇とその子供は人生の何もかもが制限されて自由なんてありません、それでも女系推進リベラルの人って「これが政治的に正しい新世界!やったね!」ってなるの?
女系天皇推進派って、不自由な椅子に座る義務を男女で分け合いましょう、という極めて欺瞞的な提案に過ぎなくて、社民とか共産みたいな左翼政党ですら国家神道の信者にビビって踏み込めない。
俺はこういう皇族の被差別性について昔から結構言ってきてて、右翼の人には非国民認定されたり国籍透過されるだけで平行線だからどうでもいいんだけど、
リベラル側の人たちからも、これに対してきちんと反論してくれた人って、今まで一人もいなかった。
もし、納得できる反論があるなら、本当に聞いてみたい。